紅葉の書使い

 あぁ……また失敗した。私は大きなため息を一つついた。
 上からはらり紅葉が落ちてくる。私は町のシンボルである大紅葉を見上げる。この大紅葉は、一年中その紅色に色付いている。
 そう。ここは、秋の国と呼ばれることもある。なんとこの町は、木々が一年中紅葉しているのだ。町を秋に留める元が、例の大紅葉だ。
 私はもう一度、組んだ手に意識を集中させる。組んだ手を解き、ぽんと合わせて、離す。しかし、何も起こらない。私は頭を抱えた。

 一体何をしているかというと、祭りに向けての魔法の練習だ。私は、書使いだ。正確には、まだ見習いだ。
 書使いとは何であるか、軽く説明しよう。まず魔力書という魔力が宿った書を読み、書から魔力を受け取る。そしてその魔力を出力、要は発動する。その一連の動きで魔法を使うのが、書使いだ。
 受け取る書の魔力は感情にも似ている。本を読んでいる時に感情が湧くのと似ている。だから、魔法には精神力も必要なのだ。

 何の魔法を練習しているかの説明も必要になるね。私は紅葉の秘伝魔法を練習している。
 私は大紅葉の神に仕える一族の一人だ。一族の役目は、この町を管理すること。そして、山粧祭り(やまよそおうまつり)の儀式を執り行うこと。紅葉の秘伝魔法を使うこともできる。
 祭りは、大紅葉の脇にある塔とその周辺で行われる。神無月の集まりに出向いた大紅葉の神様をお迎えするのが一つ目の目的。二つ目の目的は、この地方に秋を運び、木々を紅葉させることだ。それに必要になるのが、紅葉の秘伝魔法だ。
 そこで私は挫折している訳だ。秘伝魔法は難しい。儀式は、両親や姉が執り行ってくれるだろう。でも、私だってそろそろ秘伝魔法を使って、儀式を遂行したい。
 しかし……あぁ! 成功すると現れるはずの茜の鈴が姿を現さない! その魔法を塔で発動すると、地方に秋が届くのだけど……。
 姉のカバンを思い出す。いくつかの茜の鈴がつけられていて、姉が歩くと綺麗な音を響かせていた。姉が初めて執り行った祭りも思い出し、その時の華やかさや高揚感が蘇る。
 同時に、悔しさがこみ上げる。口を固く結び、しょんぼり俯く。……負けてたまるか。俯いた顔から目線だけ少し前に戻す。
 ……こんな風に自分に負けるなんて、私は許せないぞ!
 まだ脳内に再生されていた、祭りの光景に改めて意識を向ける。あの時、私は姉に憧れた。そして決意したのだ。自分もいつかあんな風に秘伝魔法を使うのだと。
 もう一度、秘伝魔法の書に意識を向け、手を動かす。悔しさから芽生えた気合いを精一杯に込めたけれど、手の中には何もなかった。
 今は調子が悪い。もどかしいけれど、ここは気分転換をしよう。
 そう思い至った私は、紅葉の絨毯を踏みしめ、歩き始めた。

 * * *

 紅葉やイチョウの木の間を歩く。落ち着いた赤と黄。静かな佇まいと秘めた情熱の様なものをいつも感じる。上から目線を戻すと、前方にヒヨリとその友達達がいた。私もまた、ヒヨリの友達の一人だ。
「あ、コトネじゃん」
 ヒヨリは足元の紅葉を散らしながら、こちらにやってきた。長くて巻かれた明るい栗色の髪。ロングスカートと似つかわしくない挑発的な目線を周囲に送っている。友達達もゆっくり後からついてくる。
「相変わらず、魔法の練習してるの?」
「うん。まぁ……なかなか上手くいかないんだけどね」
「スズネさんは上手くやってたのにね」
 姉の名前を出され、不意を突かれる。もしかして、私、馬鹿にされた?
「いや、私だって頑張ってはいるんだよ?」
 かすかに湧きあがった怒りを抑えながらも、私は言い返した。
「お祭りも近いのに、こんなとこほっつき歩いてるじゃん」
 見下したような口調。本人に自覚や意図はあるのだろうか?
「そんなんだからできないんだよ。頑張ってるようには、見えないね」
 言うだけ言って、ヒヨリは去っていく。取り巻きの友達は私に目配せしたけれど、結局何も言わず仕舞いだった。
 あれ、ヒヨリだけじゃなくて、みんな同じことを思っているのかな? 何も言わずに去っていくのでは、ヒヨリに同意してるも一緒に思えた。
 すると、ささやかな怒りは憂鬱に変わった。先程の気迫が何処かに沈んでいく。
 私は、必死に魔法の練習を頑張っているつもりだった。しかしその自信は揺らぎ、消えていきそうになっていた。
 私の努力が足りないから、魔法は成功しないのかな。
 その考えに行き着いたら、止まらなくなった。憂鬱は膨らみ、心の中から溢れだすのではないかと思った。

 くよくよしてないで、もっと頑張りなさいよ私!
 激しい落胆を必死に抑える。赤茶の髪を手でといた。耳の下で切り揃えて、何だかきのこのような髪型のフォルムを私は気に入っている。(ミディアムボブとかマッシュルームカットとか言うらしいけど、私はよくわからない)
 髪を忙しなく触り始めるのは、焦ってる証拠だ。と私は自覚した。自信がなくなったから、自分の中のお気に入りを意識してるんだ。
 そうよ、こんなことしてる暇があったら練習をしろ! という話なのよ。
 その場で私は指を組む。強く念じるような姿は、「お願い事」してるみたいだ。手をいったん離し、ぽんとまた合わせる。
 ……やはり茜の鈴の姿はない。
 やけくそになってできるはずなかった。私はその場にしゃがみ込む。潤みそうになった目線の先には、やはり落ち葉の朱色や黄金色が目に入る。秋色の森が大好きで、それらに優しく包まれたこの町に深い愛情を感じている。こんな素敵なものを、他の場所にも届けられるなんて。
 焦りや悔しさ。憧れや不甲斐なさなど様々な感情が混ざり、何も考えられなくなった。
 気分転換が裏目に出てしまった。

 * * *

 しばらく立ち上がれず、ひたすら落ち葉をつついていた。もうどうしていいのかわからなかった。大好物のもみじ団子だって、今は食べたいと思えない。
 途方に暮れていると、落ち葉を踏みしめる足音がこちらへと向かってくる。顔を上げ、足音の主を確かめようとする。見覚えのあるぺたんとした靴から目線を上げて行くと、そこにはリチがいた。リチとは幼馴染で、ずっと仲が良い。親友と呼べる人を挙げるなら、リチだ。
 リチの方も私に気付き、駆け寄ってきた。
「コトネ、こんなところで何してるの?」
「リチ、私はもう駄目かもしれない」
 先程までの一連の流れを説明する。リチは聞き上手なので、私の言葉に頷き、時折相槌を打って聞いてくれた。
「根を詰めすぎたら、できるものもできないと私は思うよ」
 私の話が終わると、リチはまずそう言った。
「この町出身の書使いなんてコトネとご家族一同だけじゃない。他の人に何がわかるっていうの?」
 リチの家族は図書館をやっている。私の家族もよく利用していて、リチとは家族ぐるみのお付き合いだ。私達もよく二人で色んな本を読んでいる。年中本読み放題という幸せは、伝わるだろうか?
「それ以前に、誰かの努力を貶すなんて酷いじゃない」
 長くて真っ直ぐな髪を揺らし、ゆったり私に語りかける。道の脇に二人で座っているのだけど、落ち葉の絨毯は良い座り心地だ。何よりリチとこうして話していると、とても落ち着くのだ。
「コトネは十分すぎるくらい頑張ってるよ。いつも感心してる」
「……ありがと」
 リチから凄く、暖かくて綺麗なものを受け取っている感覚がする。息を吸ったら胸いっぱいに満たされ、そこから体中に広がっていく。
「大丈夫だよ。誰かが頑張れなんて言わなくても、コトネは物凄く頑張るし。激励が必要な時があるように、飛ばしすぎる人を休ませるのが必要な時があるんだよ」
 感激が涙の形をして私の目を潤ませた。私は堪らず両腕を伸ばし、リチの肩に回す。リチはいつもそうするように、私を抱きとめて頭をなでてくれた。
 あぁ、私は一人じゃない。リチがいて、姉がいて、いつも見守ってくれるこの森がある。リチ、本当にありがとう。いつも一緒にいてくれて、励ましてくれて、本当にありがとう。
「私が茜の鈴を生み出せるようになったら、一番に見せるからね!」
「楽しみにしてるよ。頑張るコトネにこれをあげよう」
 リチはそう言って、私の頭にそっと手を乗せた。

 もう大丈夫。私は、大事なことに気付いたから。

 * * *

 深緋(こきひ)のローブに身を包み、私は指を組んでいる。
 髪に飾ったコスモスが私にぐんぐん元気を注入してくれる。
 耳に入るは律の調べ。眼下には紅の森と秋の国。

 私は今、塔の最上階にいる。姉も一緒だ。
 その下の階では、リチが楽器の演奏をしているだろう。床に置き、弦を弾く楽器だ。リチのお父さんであるシグレさん、お母さんであるカミノさんも何か楽器を演奏しているはずだ。
 私は願いを込め、魔法を発動しようとしている。髪飾りのコスモスはリチがあの時くれたものだ。

 組んだ指を離し、手を合わせる。
 姉の華々しい姿や普段の笑顔が浮かぶ。秋色に染まった町が、森が浮かぶ。リチとの思い出が駆け巡ってくる。

 ――全部、全部大好き。心から愛している。感謝している。言葉にはできない程に。

 精一杯の幸せを、平和な日々を、私の愛する全ての人達へ、この町へ――

 頬に微かな風を感じる。湧き立つ感情。目に映る全てがきらきらと輝いたように見えた。そして目を閉じる。
 何かを捧げるように手を前に差し出し、腕を広げる。閉じた目を開いた。

 金色の光が放たれた。その光は涼風を巻き起こし、町へ、更にその外側へと流れて行った。
 もう少し時が流れたら、この地方の木々は紅葉するのだろう。
 そして、大紅葉の神が塔へ降臨した。空からゆっくり舞い降りてきたのだ。神様は光を身にまとっていて、姿はほとんど確認できなかった。
 でも、私と目が合った時、微笑んだように思えた。そして光と共に姿を消した。
 神様の、お帰りだ。

 儀式は、遂行された。
 私は糸が切れたように座り込んだ。歓声と、リチ達の演奏が聞こえる。塔の下の方で、町のみんなが音楽に合わせて踊り始めた。そのどれもが、夢の中の出来事のようで、私はふわふわとした気分。
 姉が私の目線に合わせて屈み、私に向かって微笑みかけた。
「さすが私の妹。私の出る幕はなかったね。きっと素晴らしいお祭りになるわ……」
 山粧祭りは始まった。

 塔の一階で、私は姉とリチと一緒に座っていた。リチの演奏時間は終わったという。
 お茶を飲んで休み、ようやく私の心は現実に戻ってきた。外は賑わっている。祭りの喧騒はすぐ側だ。
「お姉ちゃん」
 私の呼びかけに姉は顔を上げる。
「秘伝魔法には、感謝の気持ち、深い愛情が必要なんだね」
 そう私が言うと、姉はとても綺麗な笑顔で微笑み、大きく頷いた。

 秘伝魔法の魔力書には、この町や大紅葉にまつわる話が書かれていた。大好きな町や大紅葉の話を、私は夢中で読んだ。故郷への愛情がすくすく育っていくのを感じていた。
 そしてあの時、リチの言葉で気付けた。
 この愛情を、感謝に変えて返そうと。リチや姉、町や大紅葉に心からの感謝を返そうと。
 私は、紅葉の秘伝魔法を習得したのだ。

「さ、無事に儀式も終わったし。お祭り行こうよ!」
 リチが私の手を引く。
「うん! 美味しいものとか食べよう!」
 もみじ団子、屋台にあるよね。いちょう焼きも外せないね。大紅葉を臨んで食べるのはとても美味しいのだ。このお祭りだとそれが倍になって……リチと一緒なら、もっともっと幸せで……!
 私は立ち上がり、リチと共に塔を後にした。

 首に下げられたお揃いの茜の鈴が、優しい音色を奏でた。