エスティーメモランダム
―学園サバイバー―
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ここは、中学校の教室だ。
私はまた黒い影に囲まれている。振り切って私は逃げ出そうとする。
すると、そこに朱音がやってきた。
「葵さん! 逃げよう!」
朱音に手を引かれて、私は教室を飛び出す。
廊下や階段を、朱音と駆け巡る。朱音は、私に向かって必死に語りかける。
「普通に自分をさらけ出して、否定されたらおしまいなんだよ!」
朱音にしては、とても普通の口調だ。
「自分をおかしく作っとけば、いい壁になるんだ。壁越しなら、人と話せるんだよ」
そうだ。朱音のあの口調は、防御壁だ。直接傷付けられないように作られたのだ。私だって同じだ。一つ厚い壁を隔てて人と関わる。
朱音は走りながら、叫ぶ。
「葵さんは、仲間で、友達! そして何より、同士だ。同士なんだよ!」
私が昔の話をした時も、朱音は同士という言葉を使った。
そうだ。私と朱音は同士だ。学校という世界で必死に戦った、同士だ。
あぁ、また夢だ。
朱音が中学校にいるのはおかしい。そして朱音の台詞は、私が日頃朱音に対して思っていることだった。
私は、久々にすっきりした朝を迎えていた。敵からは、朱音と一緒に逃げたんだ。
さて、これから本物の朱音に会いに行こう。
私は起き上がり、身支度を始める。
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今日は休日。これから初めて朱音と遊びに繰り出す。
待ち合わせ場所にやってきた朱音は当然私服だった。
ぺたんとした濃い緑の帽子を深く被り、ベージュのシャツに、タータンチェックで七分丈の赤いズボン。
やはり彼女は外国の男の子のようだった。こんな人形、雑貨屋辺りで売っていたかもしれない。
私の方は、白いワンピースにジージャン。それだけだ。
朱音の話題は、例の歌手と翠さんのことが多かった。今日も例外ではない。
「翠さんは、また彼氏さんとお別れしたのだ。恋愛苦手と言っているのに、何故かいつも彼氏がいるのだ。で、別れるのだ」
やはり翠さんは普通の人に思えない。でも、翠さんを相変わらず好きでい続ける朱音には言えない。
「朱音は、どうなの?」
「えー? 無理無理! だってオイラ、そもそも人と話せないもん!」
「私とは話せてるじゃない」
「葵さんだからなのだ。葵さんはお友達なのだ。翠さんと葵さんはお友達なのだ」
先日の笑顔から、朱音はちょっと元気になったような気がしている。私に心を開けてきたのかなとか思った。
そんなことを話しながら、私達は駅ビルを散策する。雑貨屋に立ち寄ったら、本当に朱音そっくりの人形が売っていた。
「見て。これ朱音に似てない?」
朱音の方を向いたら、朱音は携帯に目線を落としていた。表情がとても暗い。
「どした?」
尋ねたら朱音は慌てて顔を上げた。
「ごめんよ! 何だい?」
「いや、この人形が朱音に似てるなって」
「ほんとだぁ! オイラそっくりだぁ!」
人形を手に取り、はしゃいでいる朱音は、もう普段の朱音だった。
それからまた歩いていたのだが、朱音は時折携帯を開いては表情を陰らす。
「朱音、どうかした?」
朱音は、驚いたように私を見る。私が朱音の異変を見抜いているとは思っていなかったのだろう。
「翠さんがまた怒る。オイラまた悪いことした。オイラわかんない……わかんないよぉ……」
支離滅裂な朱音の言葉。低くぼそりと言ったんだ。
「あの、でも、大丈夫なのだ。大丈夫だから気にしないで。気にしないで!」
気にしないでと繰り返しながら、朱音は先を歩いていってしまった。私はそれを追う。
それからしばらくは、その話に触れずにいた。駅前を歩き、カラオケに入る。
二人の好きな歌を歌い合った。その合間にも朱音は携帯を見ては泣きそうになっていた。
朱音の好きな歌も一緒に歌ったりして。そんな時は朱音も笑顔になるのだけど。
私は歌い終わり、朱音の方を向いた。朱音は肩を落として、目を潤ませている。
「ね、本当にどうしたの?」
私の方を見上げた朱音の目から、遂に涙が落ちる。
「翠さんは、自分を切っちゃいます。そうメールが来るのだ」
「切っちゃうって……剃刀とか?」
「多分そうなのだ。時々そうするのだ。オイラのせいなのだ」
朱音はシャツの袖をたくし上げて、腕を引っ掻き始めた。
「朱音、できればそれやめようよ」
私は朱音の手をつかんでそれを止める。朱音の手は少し震えていた。
「翠さんが、自分を傷付けるのはオイラのせいなんだよ。だからオイラは、自分を罰さなきゃいけないんだよ」
あぁ。朱音は自分しか責められないんだ。全部自分の責任にしてしまうんだ。
衝動的に立ち振る舞っている翠さんに、やっぱり振り回されているんだ。
「ごめんよごめんよ。せっかく遊んでくれてるのにごめんよー!」
朱音は泣きながら謝った。何度も何度も謝った。
「オイラ、元気! 元気だから平気だよ」
涙を拭った朱音は、素早く次の曲をいれて歌った。
「ね、私のことは気にしないでいいんだ。無理はしないでよ」
「大丈夫だって。ほら、葵さんも歌おうよ」
私がそう言っても、朱音は聞かない。仕方なく私はそれに乗る。
それから、朱音は何事もないように歌っていた。私と一緒に、例の歌手について盛り上がっていた。
帰り際、やっぱり朱音は落ち込んでいるように見えた。声をかける。
「やっぱり平気じゃないでしょ。大丈夫なの?」
朱音はびくりと体を震わせる。私の方を一瞥して、俯く。また目に涙が浮かびあがっていた。
「オイラ……ボッコボコにされたいな」
「え?」
「みんなが見て、わかるように。誰が見てもわかるように傷だらけになりたいな」
私は朱音の言葉の意味を考える。いつもこうして朱音語を解読しようとする。
もしかしたら、心の傷を体の傷にしたいのかもしれない。という結論を出してみた。
「心の傷は見えないから? みんなから見たらわからないもんね、朱音の心がボッコボコにされてるの」
すると朱音は丸い目を更に丸くして私を見た。
「私には、朱音の心が傷だらけなのわかる。だから、そんなこと考えないことだ」
「うーん。わからないや。オイラわかんない」
朱音はぼそぼそとそう言った。そこでお別れの場所に着いてしまった。
「朱音、辛いんなら私に話してもいいんだからね?」
「いや、オイラは大丈夫なのだ。何度も言ってるけど、大丈夫なのだ」
私は、朱音が大丈夫には見えなかった。
このままじゃ、いけない。何とかしなきゃだ。
家に帰ってから、私はそう考えた。ゆっくりでいいから、朱音を助けなきゃと。
しかし、それは急がなければいけないことだったんだ。