サディスティックハーフムーン



 また春が来て、俺は大学生になった。桜さんは二年になった。相変わらず桜さんは、すみれさんと二人で過ごしている。俺はそれを見守っている。学校から別宅に帰り、それから家に帰るという生活を今でもしていた。
 別宅に来て、靴を脱ごうと玄関に立つ。するとリビングから声が聞こえてきた。

「春依君は、昔からああいう人なんですか?」
「春依様ですか? ……前とは、随分と変わってしまいました」
「どう変わったんですか?」
「前はもっと明るかったんです。いつも楽しそうに喋っていて。話すのが好きでしたね」
「前もあんなに強気な性格だったんですか?」
「そこは変わりませんね。全く」
「前は兄妹仲良くライブ等に出掛けていたものです。二人とも、歌うのも聴くのも大好きでした」
「やっぱり、お兄さんを亡くしたことは大きかったんですかね?」
「も、もうそれ以上は私達からは何も言えません……」
「そうですよね。すいません」
「いえ……」
「二人はやっぱり顔がそっくりだったんですか?」
「はい。とても。見分けは簡単につくんですけどね。外見では身長が一番違いますね。さすがに男女の差ですね。二人とも背は低めなんですよね」
「やっぱり春依君は弟じゃなくて、妹なんですか?」
「え!? あの、そうじゃなくてですね……」
 俺はまた手袋を見つめる。二人組みは嘘をつけないから何話しだすかわかったものじゃない。俺は勢いよくリビングのドアを開ける。
 テーブルに、桜さんと二人組みが座っている。すみれさんはベッドで寝ている。
「何を、話してるんですか?」
 俺は最大限に冷たく言い放つ。
「す、すいませんでした!」
 二人組みはとても素早く逃げていった。俺はテーブルに座った。
「あまり追究しないでもらえます?」
「すいませんでした」
 桜さんは悪びれる様子もなく言った。そして続けた。
「そうそう。今日は友達が来るんです」
「桜さん友達いたんですか」
「実は高校時代の友達でして。大学一緒なんですが、入学してちょっとで気付かれてしまいました」
 桜さんの高校時代。その友達は本当の桜さんを知っているのだ。
「その友達は、親友でして。あの事件のこともわかってくれて。話も聞いてくれてたんです」
「そういう人、いたんですね」
「はい。黙ってましたけど」
 高校時代のことを匂わせるのが嫌だったのだろう。
「その友達には、今の私も昔の私も見せてますよ」
 桜さんが、自分を偽っていることについて話すのは初めてだった。その一言以外は何もそのことに触れなかった。

 桜さんの友達がやってきた。背が高い。俺とそんなに変わらない。ウェーブのかかった髪は肩より少し短い。フレームがきっちりついた眼鏡をかけていて、眼鏡の奥の目はとても優しそう。
「涼良(すずら)さんです」
 桜さんが紹介してくれる。
「こんにちは」
 すずらさんは、低くて優しい声で挨拶した。何だか癒やされる人だ。
 桜さんの後ろにくっついていたすみれさんが、突然すずらさんの前に出てくる。そしてじっと見上げ始めた。そんなすみれさんを、すずらさんは優しく頭を撫でた。すみれさんはまだじっと見上げている。無表情に見上げている。
「すみれちゃんがなついた!」
 桜さんが驚いている。すずらさんは優しい笑顔を浮かべている。
 すみれちゃんが心を開く人が、桜さんに続き一人増えた。

 いつものテーブルに三人でつく。すみれさんはまた「交流」を始めたり、寝てしまったり。
「春依君は、何で左手にだけ手袋してるの?」
 すずらさんが尋ねてくる。
「特に意味はないです」
 俺は適当に返す。
「いつも外さないんですよ。夏でも」
 桜さんが楽しそうに話す。桜さんが楽しそうに話すのを初めて見た。
「夏でも、その黒い上着着てるんです」
「暑くないの?」
 すずらさんがまた尋ねてくる。
「いやもう着てないと落ち着かないんです」
 俺はまた適当に返す。そこから何も言わないでいたら、桜さんとすずらさんの二人で話し始めた。俺はすみれさんを眺める。すみれさんは枕を抱いて寝ている。枕が好きなすみれさんは、たくさんの枕をもらっている。ミスドーナッツというドーナッツのお店でもらってくるらしい。
「最近、どうですか? まだつけられてるんですか?」
「そう。アイツまだいるんだよー」
 俺はすみれさんから視線を戻す。そして口を挟む。
「ストーカーですか?」
 すずらさんは答えてくれた。
「そうなんだよ。変な奴がいつも電車の中で寄ってくる」
「電車の時間を変えても?」
「変えてもついてくる」
「絡まれるんですよね」
 桜さんがすずらさんに言う。
「絡んできやがる」
 すずらさんはちょっと苛立ったように言う。
 これはいい機会。実はすずらさんの話を聞いた時から、すずらさんに桜さんの側にいてもらえないかと考えていた。だから俺は言った。
「ここから学校通っちゃえばどうですか? ここからの方が近いですよ」
 すずらさんは驚いたように、俺と桜さんをきょろきょろ眺める。
「すずらさんもいてくれたら、二人組に世話かけることも減りますし」
 桜さんがいない時、すみれさんの面倒は二人組みが見ていた。すみれさんは、桜さんがいないとほとんど必要以上動かないので、二人組みは食事の面倒くらいしか見ていないようだが。
「桜さん、いいんですか?」
 すずらさんが改まった様子で桜さんに尋ねる。
「もちろん」
 桜さんが嬉しそうに言った。
 これで桜さんが追いつめられた時、すみれさんが俺の袖を引かなくても済むな。と思った。
「あれ、すみれちゃんがこっち見てる」
 桜さんがすみれさんの方を見ながら言う。すみれさんは、桜さんとすずらさんの方をじっと見ている。
「ずーさんが家に来るのが嬉しいんですね」
 桜さんとすずらさんが笑い合った。すずらさんは「ずーさん」と呼ばれているらしい。俺は桜さんが笑ったことがとても嬉しかった。

「私も、学校とかバイトとか忙しいからなぁ」
 桜さんが三人分の紅茶を入れてきて、話は再会した。すずらさんも、バイトをしている。ミスドーナッツでバイトをしている。
 すみれさんの世話について話している。すみれさんを一人にしないように考えている。どうしても家を離れなければならないことが多いからだ。
「バイト先で知り合った友達がいるんですよ。交通事故で、ちょっと記憶喪失になってて。高校は辞めて、今は休養中で、独学中なんですよ。だからいつも家にいるみたいなんですよねぇ。向日葵っていうんですけど」
 すずらさんはまったり早口で話す。そして俺はいつものように言う。
「別にここに呼んじゃってもいいですよ?」
「いいの? じゃあ誘ってみようかなぁ」
 すずらさんは驚いている。桜さんも楽しそうに言う。
「すみれちゃんがなつけばいいですね」
「俺と二人組みには全くなつきませんからね」
 俺はすみれさんの方に目線をやる。すみれさんは何やら絵本を見ている。すみれさんは文字が読めるらしい。別宅に置いてある絵本が気に入っているらしい。俺が見ていてもわからないのに、桜さんはわかっている。そんな感じだから、すみれさんは俺になつかないのだろうか。
「すみれちゃんは、春依君のこと嫌いなわけじゃないですよ」
 桜さんが俺の考えてることに気付いたのか、そう声をかけてくれた。

 俺自身にも、一つの変化があった。大学でも相変わらず周囲と最低限の付き合いをしていた。だから一応、知り合いはいた。
 大体話しかけられたら、まず睨む。触ってきたら振り払う。それでも話さない訳にはいかない場合もあるので、その時は話す。
 そんな俺に声をかけてくる人がいた。今までとは違う声のかけ方だった。
「何か気が合いそう」
「はい?」
声の方を見たら、背が少し高い人がいた。顔がとても整っている。目が大きくて、アイドルみたいにキラキラ輝いている。冷たい視線の俺に対して、穏やかな笑顔を浮かべている。
何か人生悟ってそうと思った。誰ですか? と尋ねる前に相手が自己紹介してくれた。同じ学部で、名前は翼、というらしい。
他の誰かと違う感じがした。やたらと落ち着いていて、何処となくクールだった。それでも明るくて、よく笑う人。
気がつけば、引き込まれていた。そして友達になっていた。久しぶりにできた友達だった。

「春依ーカラオケとか、行かない?」
 翼が恐る恐る誘ってきた。翼の友達と行く話があって、それに一緒に行くかと誘ってくれたようだ。誘い方からして駄目もとで、行かないこと前提の誘い方だ。俺も行く気はなかった。なかったのに。
「行く」
 翼とだからではない。考えるより先に言葉が出てしまっていた。
 しかも一緒に行って、歌ってしまった。さすがにこんな声とは言え、歌うのは男性歌手の曲である。そんなに歌が上手かったのかと、もの凄く驚かれてしまった。
 その後、翼がバンドに誘ってきた。翼がヴォーカルとギターをやってるらしいが、俺の方が歌が上手いからと誘われた。

 また俺は別宅にいる。すずらさんはバイトに行っているらしい。
「断っちゃったんですか?」
 桜さんがまた紅茶を前にして言う。
「歌うのも聴くのも好きなんでしょ?」
「何で知ってるんですか」
「何ででしょうねぇ」
 俺はまた廊下の方を見る。焦る気配。二人組みか。
「君はいつも何を我慢してるのでしょうね?」
「別に我慢なんかしてないっすよ」
 俺は少し強い口調で言った。桜さんはそれ以上何も言わなかった。
 それまで交流していたすみれさんがベッドから立ち上がる。そしてよちよちと二階へ行く。階段を上る姿は必死に見える。
 桜さんが慌ててそれを追っていく。俺も追っていく。
 すみれさんは一つの部屋のドアを開ける。その部屋には、誰も弾けないのに(二人組みの片方は弾けたかもしれないが)ピアノが置いてある。アップライトピアノというそうだ。
 すみれさんは突然ピアノにとことこと近付き、力いっぱいふたを開ける。椅子に座って、鍵盤に手を置く。
「弾くんですかね?」
「弾きたいんですかね?」
 こそこそ見ている俺達に構わず、すみれさんはピアノを弾き始めた。クラシックの知識がない俺に曲名はわからないが、聴いたことのある曲をなめらかに弾き始めた。
「す、凄く上手に弾けてますね」
 桜さんも驚いて唖然としている。ちゃんと弾いたことがなければ、あんなに弾けないだろうというレベルの演奏をすみれさんはしている。そして一曲弾き終えたら、またベッドに戻っていった。後程すずらさんにも尋ねたが、すみれさんがピアノを弾けるとは知らなかったようだ。
 それ以来、俺の前でピアノを弾くことはなかったが、桜さんとすずらさんの前では、たまに弾くらしい。桜さんがとても癒やされた表情ですみれさんのピアノについて話していた。ピアノの曲や実力についてではなく、すみれさんが楽しそうにピアノを弾く姿に癒やされるという。
 すみれさんは相変わらず謎が多い。それでも段々と人間らしくなっている気が、俺にもしている。


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