君に一輪のありがとうを―病弱少女のトリセツ―


五つ目のお話
 あれから、僕は学校やバイトに通った。のんちゃんは病院に通っているようだ。それぞれの日常を頑張っている。時間が合った時は、携帯でメールをした。のんちゃんが僕に時間を合わせてくれて、近所をお散歩もした。春はぽかぽか暖かいし、あまり車も通らないからお散歩が気持ち良い。ビタースイートへのお出掛けから数日。数日の間に、僕はのんちゃんとまた交流を深めた。のんちゃんは人見知りが激しいらしいけど、僕のことは気に入ったらしい。
 のんちゃんといると、とても幸せになれる。その一方で、僕は例の欠落を感じてしまうのだ。何だろうこれは。僕はのんちゃんより幸せだと思う。思うのに、何かが足りない気がしてしまう。のんちゃんといると、それが浮き彫りになってしまう。
 今日はサークルだった。僕も人見知りは激しいけど、バンドのメンバーとはとても仲良くなった。ドラムがいないからお前ボイパやれよと、無茶なことを言って僕をいじめるヴォーカル。例の人助けをしているらしい友達だ。何だか人生を悟っていて、顔がとっても整っているギター。優しいし性格も見た目も完璧なのに、彼の恋人は最高に変人だ。二人とも、僕のことを応援してくれている。のんちゃんを助けられるように。
 ギターの彼に、僕は最近抱える欠落感について相談してみた。必死に気持ちを説明して、こう問うてみた。
「僕には、何が足りないんだろう?」
「ゆーちゃんに足りないものねぇ……」
 彼はいつものように優しい微笑みを浮かべた。そしてこう答えた。
「満たされていること、じゃないかな?」
「満たされている、こと?」
「多分、ゆーちゃんが幸せで満たされていることから、その気持ちは来ているのかも知れないね。あれ……何だか参考にならないね。あはは」
「いや、そんなことないよ。ありがとう!」
 満たされているから、足りないの? えぇ……わからないなぁ。まだ答えには近づけそうにないな。
 みんなで楽しい時を過ごして家に帰ってきた。すると隣から、今日は微かな泣き声が聞こえてきた。
 久々に聞いた気がする。最近は専ら歌声だった。心配になった僕は、部屋を出てのんちゃんの部屋に向かった。チャイムを鳴らす。のんちゃんはすぐに出てきた。目が赤くなっていて、頬が濡れていた。
「ゆーちゃん、のんちゃんはおぅおぅよー!」
「どうしたの? 大丈夫?」
「具合悪くなってしまいました」
 のんちゃんはその場に座り込んでしまった。
「のんちゃんは調子が悪いのよー。苦しいよー。頭がクラクラするよー……クルクルするよー……胸が苦しいよー……」
「のんちゃん、横になろうか。お水、飲む?」
「何だかとっても不安よ。何か怖いよ。よくわからないのよ。怖いのよ」
 話していたかもしれない。体の不調だけでなく、不安になったりすると。体調が悪いと不安になったりもするそうだ。のんちゃんは必死に今の状態を伝えている。僕はのんちゃんのおうちにあがらせてもらった。のんちゃんを支えて、ソファーに連れて行った。のんちゃんはソファーに倒れこんだ。
「お水飲もうね。持ってくるからね」
 キッチンにある食器棚から、コップを拝借した。浄水器のついた水道から水を出して、コップに溜めた。
「お水持ってきたよ」
 のんちゃんは、ゆっくり起き上がってお水を飲んだ。
「ゆーちゃん、ありがとうよ。ごめんね。ありがとうよ……」
「大丈夫だよ」
 お水をごきゅごきゅとゆっくり飲んで、のんちゃんはまた横たわった。
「のんちゃん、僕は側にいた方がいいかなぁ? のんちゃん、調子悪いから一人は不安じゃない?」
 のんちゃんは目をぱちくりさせてこちらを見た。
「ゆーちゃん、一緒にいてくれるの?」
「うん。のんちゃんが一緒にいてほしいなら、もちろんいるよ」
「ゆーちゃん。ありがとう、ありがとうよ!」
 のんちゃんは必死に感謝の言葉を連呼した。
「大丈夫だよ。ゆっくり寝てね」
「のんちゃんが寝てしまったら、ゆーちゃん暇ね。テレビ見ましょう」
 のんちゃんはテレビをつけてくれた。そして毛布にくるまった。ソファーに毛布が置いてあるところから、のんちゃんは僕が来る前からソファーで寝込んでいたようだ。僕はのんちゃんの近くにいた。のんちゃんが何度も勧めるので、冷蔵庫にあったペットのお茶をコップに注いで飲んでいる。テレビとのんちゃんを眺める。
 のんちゃんはぽつりぽつりと呟いた。
「のんちゃん何にもできないの。病院にお金いっぱいかかるの。家族とか友達に迷惑いっぱいかけるの。ゆーちゃんにも」
 のんちゃんの目はまだ潤んでいた。
「のんちゃんは要らない子なの。だからのんちゃん、家出したの。私はのんちゃん嫌いよ?」
「そんなことないって。僕はのんちゃん大好きだよ? 迷惑だなんて誰も思ってないよ?」
 のんちゃんは毛布を引っ張って顔を隠してしまった。のんちゃんが家出したのは、病院が遠いという理由だけではなかったのだ。
「大丈夫だよ。僕はのんちゃんいてほしいよ。きっと誰も迷惑だなんて思ってない。与えてもらったなら、後で返せばいいんだよ……? のんちゃんが言うみたいに」
 僕はそんなのんちゃんが好きだ。僕ものんちゃんのように、誰かに与えることを考え始めたんだ。僕は、のんちゃんを助けたい。そして周りの人に、何かを返したい。
 のんちゃんは、毛布から目だけ出した。毛布の裾を両手でつかんで、こちらを見た。
「ありがとうよ。ゆーちゃん、ありがとうよ。のんちゃんねぇ。家出してから、一人で色々できなくて困ったの。でも、ゆーちゃんがいてくれるから大丈夫になったの」
 いつもみたいに必死に言葉を探して、頑張って話してくれる。
「ゆーちゃんが助けてくれるから、のんちゃん実家にいた時より病院に行けるの。実家にいた時は、お母さんが助けてくれたけど、遠くて行けなかったの」
「うん。良かった」
 こんな僕でも、のんちゃんを助けることができていたんだ。
「僕はね。頑張るのんちゃんが好きだよ。要らない子じゃない。大丈夫だよ」
 のんちゃんはソファーから起き上がった。お水を一口飲んで、僕の方を見上げた。
「ゆーちゃん。いつもありがとうよ! のんちゃん元気出ました。体調はまだ悪いけど、元気出ました!」
 それから二人でのんびり過ごした。のんちゃんは病院に行けるようになったからか、最近体調が良かったらしい。そんな中、久しぶりに体調を崩してびっくりしてしまったようだ。
 のんちゃんがそろそろちゃんと布団で寝るようなので、僕は部屋へと帰った。
 病気であることの罪悪感は辛いな、と思った。本人にはどうしようもないのに、必然的に周囲に迷惑をかけてしまうから。普通の人と付き合うより、病気の人と付き合う方がもちろん大変だ。でも、本人は悪いことを何もしていない。のんちゃんは病気であるというだけで、色んな苦しいことを抱えているのだ。
 僕には何が出来るだろう。もしかしたら何も出来ないかもしれない。それでも、のんちゃんが少しでも元気になればいいなと思った。
 次の日、のんちゃんは体調が良くなったらしく、嬉しそうに報告をしてくれた。僕もとても嬉しくなった。のんちゃんが嬉しいと僕も嬉しいんだな、と心が躍った。


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