君に一輪のありがとうを―病弱少女のトリセツ―


四つ目のお話
 僕ものんちゃんのことを知りたいと思っていた。あまりにも謎が多く、謎が謎を呼び、また謎が謎を招きよせ、謎が群れを成して僕の頭の中をパレードするから。
 のんちゃんは僕を喫茶店に誘った。
 二人で電車に乗って、一番近くの大きい駅へと行った。そこからまた電車でちょっと。最後に降りた駅から徒歩ですぐ。駅は小さかった。駅前はすっきりとしていて、必要なものをぎゅっと詰めた感じだ。そこをのんちゃんとちょっと歩いた。暖かくなって、のんちゃんも歩きやすいのだろう。三十分くらいかけて、のんちゃんのお気に入り喫茶店へと辿り着いた。
「のんちゃんくたびれちゃった」
 のんちゃんが息をつきながら言った。やはりのんちゃんは病気なのだろう。
「大丈夫?」
「大丈夫よ。今日は調子が良いのよ」
 喫茶店はビタースイートという。こぢんまりとしていて、優しそうで洗練された外観。外にも席がある。白いテーブルと椅子が置いてある。中に入ってみたら、とても居心地が良さそうだ。カウンター席と普通の席がある。のんちゃんはレジ前のカウンター席に座る。僕はその隣に座る。レジには、女の人が二人いた。茶色く長い髪で、大人びた綺麗な人だ。僕は女の人に見覚えがあった。そう。隣に住んでいた女の人だ。
「リリーさん、シルビアさん。こんにちはです」
「のんちゃんよく来れたね。今日は体調大丈夫?」
「大丈夫です!」
 のんちゃんはにっこりした。僕はのんちゃんに聞いてみた。
「お友達?」
「はい、お友達です。のんちゃんのお友達がここに連れてきてくれて。のんちゃんはリリーさんとシルビアさんと知り合ったです。のんちゃんお友達あんまりいないから嬉しいのよ」
 本当にのんちゃんは嬉しそうだ。のんちゃんはこっちを向いた。リリーさんとシルビアさんは、また仕事を始めていた。
「ゆーちゃんに、のんちゃんのこと教えようと思うです」
「うん。教えて欲しいな」
「何から話そう……。のんちゃんはね。今家出中なの。のんちゃんが通う病院の近くに、家出したの。のんちゃんのおうちからじゃ、病院遠いのよ。今のおうちはリリーさんとシルビアさんに借りてるの。二人とも最近色々忙しくて帰れないからって」
 のんちゃんは一生懸命話してくれた。
「のんちゃんはね、今学校行ってないの。お仕事もできないの。体調が悪くて、何にもできないのよ……。いつも頭がずどーんって、鉄みたいに重くてね。何も考えられないの。体も重たいし、いつもあちこち辛い。だるいし、クルクルフラフラ眩暈するし、すぐお腹痛くなるし。風邪引いてぐるぐるする時のこととか、とっても疲れた時を想像して。何も考えられないし、動けないでしょ?」
 僕は言われた通り、想像してみた。確かに、思考も働かないし、体も動かない。数日だけでも辛いのに、のんちゃんはこれが日常なのだ。
「のんちゃんはいつも体調辛い。高校も行ったけど、単位が足りなくて卒業できなかったの。だからのんちゃんは高校中退よ。あの高校好きだったのにな。そしてのんちゃんはこの春に家出しました」
 僕はまた想像してみた。僕も高校は楽しかった。そんな楽しい学校に行けず、いつも体調は辛い。それはとっても苦しいことなのだ。僕は今まで何が苦しかっただろう。今までの人生を振り返ってみたけれど、いまいち思いつくことはなかった。苦しいって何、とすら思い始めた。
「のんちゃんは今、病院通いです。他にできることはないのです」
 きっと病院に通うのも体力的に辛いだろう。あれ、辛いってどんな感じなんだろう。とまで考え始めた。
「それしかできないから、のんちゃんは病院頑張ります。やりたいことはどれも病気が治ったらできます。だから、まずは病気を治すのです」
「のんちゃん、何処が悪いの?」
 僕は尋ねてみた。のんちゃんは、抹茶黒糖ラテを美味しそうにすすってから答えてくれた。
「のんちゃんは何処調べても悪いところがないの。不定愁訴っていうの? そういう病気は人によって症状も違うの。のんちゃんの症状は説明難しいし、のんちゃんは頭重くて働かないし。なかなか伝えるのは難しいの。わかってもらうのは大変よ」
 よくわからない病気と闘っているのか。何処が悪いかわからないから、治療も大変だ。
「のんちゃんは色んな病院に行って、やっと今の病院を見つけました。今の病院に頑張って通ってます。えっと、他に聞くことありますか?」
「うーん。取り敢えずないかな」
 のんちゃんは病気で辛い思いをいっぱいしているとわかった。好きなのに通えなかった高校は辞めて。学校も仕事もできないから、病院通い。いつも体調が悪くて辛い。誰にもわからない病気。原因もわからなければ、病状も説明が難しい。
「のんちゃん、頑張ってるんだね」
 のんちゃんはきょとんとした。それからまた三日月形の口になって微笑んだ。
「頑張るは、いいことよ。頑張るは、楽しいのがいいです。楽しくないと、いい結果にならないです。疲れちゃいますね。頑張るはまったりゆっくりがいいですね。ゆーちゃん、ありがとうです」
 のんちゃんはいいことを言ったと思う。頑張りすぎて辛くなったら、元も子もない気がするからね。僕も、頑張ることを楽しもうと思った。楽しいと、もっと頑張れる。
 僕はのんちゃんへの好意が段々と温まり、何か愛おしさが込み上げてくるのを感じた。のんちゃんの言葉は、僕を元気にしてくれる。
「また大変だったら、僕を呼んでいいからね」
「ありがとうです! のんちゃん、とっても嬉しいです」
 それからのんちゃんは僕のお話を聞きたがった。僕の話なんて面白くないと思うけど。大学で勉強していることだとか。サークルの話だとか。バイトの話だとか。のんちゃんは楽しそうに聞いてくれた。特に、サークルで僕がやっているベースに興味を持ったようだ。
「のんちゃんはギターならちょっと弾けますよ」
 僕の脳裏に、アコースティックギターをのんびり弾くのんちゃんが思い浮かんだ。
 のんちゃんと僕の飲み物がなくなる頃、喫茶店を出て駅に向かった。夕方だから、電車は混み始めていて座れなかった。のんちゃんは頑張ってお話したから疲れてしまったようだ。ドアの近くの手すりを必死につかんで立っている。
「誰かのんちゃんに譲ってくれたらいいのにね」
 僕は席を見渡しながら言った。学生さんやサラリーマン。色んな人が座っている。あらゆる人を詰め込んだ箱みたいだ。
「のんちゃんは歩くのも大変な時あります。でも、見ただけじゃわからないんですよね。のんちゃんは人混みも辛いです。でも、歩いている周りの人はわからない。だから気遣えないのです」
 誰にもわからない病気、それはとても難しいのだ。見ただけではわからない。体調が悪いと聞いても、具体的なことまではわからない。
 のんちゃんはもたれかかるように、手すりにしがみついていた。窓の外は夕暮れ色に染まってきていて、のんちゃんのことも赤い夕陽が照らしていた。疲れたような表情をしているのんちゃん。不意に守ってあげたくなった。
 大きい駅に到着した。広くてたくさんの人が使う駅だから、やはり混んでいた。のんちゃんは必死になって人混みの間を歩いていた。眩暈がするらしく、横に揺れながら何とかバランスを保っていた。
「おぅおぅ……やっぱり人混みは怖いのよ」
 そう呟くのんちゃんを、僕の腕につかまらせた。のんちゃんは僕の腕にしがみついた。そうやって二人で歩いた。その感覚に、僕の方が何だか安心した気持ちになった。
「ゆーちゃん、ありがとうよ。のんちゃん怖いの和らいだのよ」
 やっと乗り換えるホームに辿り着いて、電車に乗った。今度は何とかのんちゃんが座れた。僕はのんちゃんの前に立って、手すりをつかむ。のんちゃんはようやく安心したのか、のんちゃんの趣味について話してくれた。
「のんちゃんはね。調子が良い時、絵本描くのが好きです」
 描いた絵本は、ホームページに載せているらしい。実はのんちゃん、パソコンが得意らしい。今はリリーさんとシルビアさんのパソコンを借りて、創作しているそうだ。のんちゃんの可愛らしい趣味に僕も興味を持った。
「どんなお話書いてるの?」
「スズメさんのお話です。チュンチュンというスズメさんと仲間達のお話です。チュンチュンは工場で幸せを作ります。そしてみんなに配ります。そういうお話です」
 のんちゃんは楽しそうに話してくれた。
「のんちゃんは色んな人にお世話になったのよ。今もお世話になってるの。だからね。のんちゃんいっぱい、返したいの。まだ何もできないから、今は絵本描くの。誰かがのんちゃんの絵本読んで、幸せになってくれたら嬉しいな」
 のんちゃんの目が輝いている。まんまるな目の中に、たくさんの夢が見えた。夢は綺麗に輝く。のんちゃんの目が夜空みたいだ。
 最寄りの駅に着いて、僕はまたのんちゃんと家へと歩く。のんちゃんはよちよち頑張って歩く。ゆっくりでも、早すぎてものんちゃんは辛いみたいだから、上手にペースを合わせる。
「ゆーちゃん。ゆーちゃんはのんちゃんのお友達ですか?」
 ふとのんちゃんがこっちを向いて尋ねる。のんちゃんはどちらかといえば小さいし、僕は背が高い。だから、のんちゃんは見上げてこちらを向く。
「お友達だよ。僕はのんちゃんともっと仲良くなりたいなぁ」
 のんちゃんは目線を前に戻して、にこーりと微笑んだ。口が横に三日月形に伸びて、照れたようにちょっと俯く。いつもの微笑みだ。のんちゃんは僕の手をつかんで、目の前に持ってきた。
「ゆーちゃんはおてて綺麗ね」
「外見で唯一の長所だよ。手しか褒められないよ」
 僕は笑う。たんぽぽもちらほら咲く道。のんちゃんには春がよく似合う。二人で手を繋いで家に帰った。のんちゃんの手の温かさが、僕をとても幸せにさせた。
 家に帰った僕はパソコンを起動して、のんちゃんに教わったアドレスにアクセスしてみた。のんちゃんのホームページだ。可愛らしい絵がたくさんあった。文章もあって、予想外に上手で驚いた。のんちゃんは天然だけど、頭が良いのかもしれない。一番メインの絵本も今見ている。それを眺めながら、僕は思案に暮れた。
 のんちゃんは恋人なのだろうか?
 何だか違う気がする。でも、手は繋ぐしなぁ。手は繋ぐけど、あれは兄と妹的な感じがするなぁ。
 そもそも恋愛感情あるのか?
 のんちゃんはないんだろうな……。きっと病気で精一杯だ。では、僕の方はどうだ。
 あぁ。大好きかもしれない。
 とにかくのんちゃんには元気に、幸せになって欲しいのだ。前向きに頑張るのんちゃんが大好きだ。とても大事に思っている。僕ものんちゃんと一緒に頑張りたい。今までも気になってはいたけれど、今日ののんちゃんを見ていたら、心をしっかり奪われてしまった。
 うぅ。恥ずかしい。
 僕は両手で顔を覆った。多分僕の顔は赤くなっている。一方的な感情。わかりやすい片思い。こんなに女の子を好きになったのは初めてだ。僕はどうなってしまうのだろう。
 そんな僕をよそに、隣からはまた歌声が聞こえてきた。のんのんおぅおぅはぅー、と。この歌は時々聞く。のんのんの歌(僕命名)だ。その夜僕の頭から、のんのんの歌は離れなくなった。


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