君に一輪のありがとうを―病弱少女のトリセツ―


休憩のお話
 のんちゃんが僕のお部屋を見たいと言った。僕はのんちゃんをお招きした。のんちゃんは興味津々で僕の部屋を眺める。
「ゆーちゃんの匂いするですねー。シャンプーの匂いです」
 僕の部屋に大したものはない。テーブルとかタンスとか、必要最低限な家具。後はとても小さいテレビがあって。テーブルの隅にノートパソコンがあって。アコギとベースが隅っこに置いてある。
 のんちゃんはアコギに興味を示した。アコースティックギターだ。弾きたそうにしているので、ケースから出してのんちゃんに渡してみた。
「のんちゃんのギターより大きいですね。弾いていいんですか? 歌ってもいいですか?」
「いいよ。のんちゃん歌うの好きだもんね」
 のんちゃんはギターを構えた。ピックで弦を上から下へかき鳴らし、鋭い和音が連なる。のんちゃんもしかして、ロックですか?
 弾き語りでのんちゃんは歌った。どうやら女性ヴォーカルのロックバンドの歌だ。聴いたことがある。のんちゃんの可愛らしい声が響く。可憐なのに強くて、胸にぐっと刺さる。やはり上手だ。高い音もしっかりと決めて清々しい。普段の病弱そうな彼女からはあまり想像できなくて、僕は驚き、胸を打たれた。
「のんちゃん一曲歌ってしまったの。お聞き苦しいものをごめんなさいです」
「いや、そんなことないよ! とっても上手だったよ! 僕びっくりしたよ!」
 僕は拍手した。のんちゃんは僕の反応に驚いて、いつものように俯いて微笑んだ。恥ずかしそうで、嬉しそうだ。
「いつか一緒に演奏できたら楽しいですね」
 それから僕とのんちゃんは、何の曲をやりたいかを想像して話し合った。それはとても楽しい想像だった。
 演奏の話題以外にも、色々とお話をした。のんちゃんは明日、のんちゃんのお母さんと一緒に診察に行くらしい。普段はここの近くの病院で治療をしていて、数ヶ月に一度、病院の本部みたいなところで診察してもらうそうだ。どれくらい治っているかということや、治療方針を診てもらうそうだ。
「緊張ね。のんちゃん緊張するですね。良くなってるかどうかとか、とても不安。だから緊張するですね。でも、久々にお母さんに会えるから嬉しいです」
 やっぱりのんちゃんは両親が大好きみたいだ。話を聞いてればわかる。両親が嫌いだから家出したのではなく、大好きな両親に迷惑をかけていると思ったから家出したのだ。
「今度、のんちゃんのおうちにも来てくださいね」
 僕は笑顔で頷いた。

六つ目のお話
 僕は、いつものようにバンド仲間とつるんでいた。今日も部室に入り浸る。
「何。ゆーちゃんにも春が来たのか。ははっ」
 鼻で笑われた。いつものことだけど、鼻で笑われた。ヴォーカルのこいつは、今日も黒い笑顔。悪魔じみた風貌が中性的。僕と違った黒い髪に、黒い服に黒い笑顔。喫茶店ビタースイートで働くバイトの女の子が、この悪魔さんに助けられている子だと知ってとても驚いた。ビタースイートも、僕らの談話の場になっている。
 僕は、相変わらず定期的にのんちゃんの話をしていた。報告というか。二人は僕から見て(多分他の人から見ても)大人っぽいというか、しっかりしているから頼りになる。
「のんちゃんも、ゆーちゃんに懐いたみたいで良かったね。きっととても頼りにしてるし、心強いと思うよ」
 いつものように柔らかな笑顔で言ってもらえた。ギターの彼は、いつも優しい。大きく精悍な目が僕を見る。きりりと綺麗に整った顔。僕も目は大きいと言われてきたけど、彼には負けてると思う。もう何もかもが勝負になっていない。
「で、ゆーちゃんは、のんちゃんとどうなりたいの」
 二人して僕の方をじっと見てくる。タイプの違う美形に見つめられて、僕は肩を竦めた。そんな、どうなりたいと聞かれましても。いつになく食いついたような表情で見つめられましても。
「どうって。のんちゃんが元気になればいいなぁって」
 二人が温かい目で微笑む。何ですかその弟を見守るみたいな表情は。
「具体的にゆーちゃんはどうしたいの」
 普段は人の恋だとか興味なさそうなのに、何で僕のことはそんなに突っ込んでくるのだろう。
「どうって……うーん。元気なのんちゃんを見たいなぁ」
 また二人が頷きながら微笑む。にやにやしている。シャイな僕の恋を面白がってるんだ。
「ゆーちゃん。純愛だね」
「美しい恋心だね」
「ははっ」
 やっぱり二人とも面白がってる。何だろうこの中高生のからかいのような感じは。
「ゆーちゃん、のんちゃんを幸せにしてあげるんだよ」
 からかいつつも、応援してくれているんだ。いつも僕を支えてくれる、素敵な友達、仲間だ。僕は二人に励まされて、いつだって元気が出る。

 おうちに帰って、荷物を置いた。のんちゃんの話をしてたから、のんちゃんのことが気になった。今日はどうしているだろう。
 僕は部屋を出て、のんちゃんの部屋のチャイムを鳴らした。
「おぅおぅ! ゆーちゃんが遊びに来てくれました!」
 のんちゃんは嬉しそうに出迎えてくれた。
「のんちゃん、調子はどう?」
「体調はまぁまぁです。診察でね、のんちゃんは良くなってると言われましたよ! でも今日は何だか気分がおぅおぅです。落ち込み気味かな」
 のんちゃんは僕を家に招きいれた。リリーさんとシルビアさんには許可を取っているそうだ。二人とも、のんちゃんをよろしくと僕に伝言を残しているそうだ。
 のんちゃんはお絵描き中だったようだ。ノートに色鉛筆で色んな絵を描いていた。そのどれもにたくさんの色が使われていて、綺麗だった。
「ゆーちゃん、学校終わったですか? 今日はサークルしましたか?」
 のんちゃんは、僕の友達の話をよく聞きたがる。いいなぁ、ととても羨ましがる。そして嬉しそうに聞いてくれる。だから、僕は友達のお話をした。
「いいなぁ。お友達いいなぁ。のんちゃんもお友達と遊びたい」
 やっぱりのんちゃんは羨ましいみたいだ。
「のんちゃん、お友達は?」
「うーん。のんちゃん、あまり学校行けなかったからな。みんなと違うの。のんちゃんは遅刻も早退も嫌でしたね。授業出れないのも、行事がみんなと同じようにできないのも。独りぼっちみたいで、辛いのよ」
 のんちゃんはしょんぼりと言った。
「独りぼっちののんちゃんよ。お友達……部活のお友達? 後はいないですかね……。病気のことわかってくれる友達はそれくらいですね。なかなか学校行けないし、なかなかわかってもらえないのよ」
 のんちゃんはしょんぼりとしている。落ち込み気味だと言っていたのに、悪いことを聞いてしまっただろうか。
「唯一いるお友達は、今大学生とかです。忙しいです。あまり会えないです。みんなは大学とかで新しいお友達がいるけど、学校行ってないのんちゃんはいません。のんちゃん、寂しいな。でも、のんちゃんにはゆーちゃんがいます! これ、とても嬉しいことよ。ありがとうよ、ゆーちゃん!」
 人と違うということは、それだけで大変なことだ。学校が好きだったのんちゃんは、みんなと同じようにできないことも、何もできないことも、とても辛かったのだろう。進学したみんなに、何もできない自分が一人置いていかれている気持ちにもなる。想像してみたけど、僕には耐えられない。そんな中でも、のんちゃんは僕にありがとうと言ってくれる。のんちゃんにとって、僕はお友達になれたみたいだ。
「ゆーちゃんも、お絵描きしますか?」
 のんちゃんが、色鉛筆を差し出す。実は僕、絵を描くのも好きなのだ。僕とのんちゃんは、二人でお絵描きを始めた。のんちゃんは色鉛筆を動かしながら、お話をしてくれる。
「今日はね、のんちゃん色んなものを持ってない気がしたの。健康とか。他の人は普通に持ってるのに。みんな忙しくてのんちゃんと会えないから、孤独にもなったの。のんちゃんだけ病気、独りぼっちよ?」
 僕は健康だ。そのことが、どれだけ有難いことか。今まで普通に学校に通って、友達と遊んで。そんな当たり前のようなことが、どれだけ有難いことか。それでも、のんちゃんは前向きな言葉を続けた。
「だから、のんちゃんは持ってるものを考えるんです。持ってるものを。家族でしょ? 後、友達。そしてゆーちゃん! みんな、病気ののんちゃんを助けてくれます。そんなかけがえのないものをのんちゃんは持ってます!」
 のんちゃんはにっこりと笑顔で言った。
「のんちゃんにはとってもとっても大事なものがあります! ちゃんとあります! だからのんちゃんはとっても幸せです!」
 辛い中でも、のんちゃんはたくさんの幸せを見つけているんだ。そうやって、たくさんの幸せを見つけて自分を満たすことは、大事なことだ。きっと、色々な幸せがやってくる気がする。楽しい好循環だ。
「大事なもの全部に、のんちゃんを助けてくれる全てのものにありがとうです! いっぱいいっぱいありがとうです! のんちゃんはありがとうがいっぱいです!」
 のんちゃんはとても嬉しそうに言った。のんちゃんはいつも感謝を忘れない。自分を大事にしてくれるものに、自分もきちんと感謝している。当然なことなんてないのだ。当たり前なことなんてないのだ。みんな誰かに助けられている。みんなの幸せを願う誰かに助けられているのだ。それはとても幸せなことで、大事なこと。そのことをのんちゃんはよく知っている。そして忘れない。大事なものに感謝をして、それにのんちゃんはたくさん返そうとしている。のんちゃんはたくさん幸せになれる気がする。そして、周りの人にも、たくさん幸せを与えることだろう。
 二人でノートに絵を描いた。のんちゃんが描いたスズメさん。スズメさんはスパナを持っていて、たくさんの幸せを作っている。スズメさんには仲間達がたくさんいて、とても楽しく過ごしている。様々な色の空がバックだ。夜明け前の群青色の空。朝日が照らす澄んだ水色の空。晴れ渡った青い空。全てを紅く染める夕焼け空。星が瞬く夜空。たくさんの色がノートに彩られる。僕は翼の生えたライオンを描いた。空へ舞い上がって、雲を食べるんだ。
 ノートの見開きは、たくさんのもので埋め尽くされた。そのどれもが幸せそうで、ページは幸福でたくさんだ。
「誰かと絵を描くのって、楽しいですね!」
 二人で描いた絵を満足そうに眺めながら、のんちゃんは言った。
「このページは、幸せでいっぱいという感じがしていいですね」
「僕も久々にお絵描きできて、とっても楽しかったよ。幸せいっぱいの絵っていいね。僕の方も幸せになるよ」
 のんちゃんは、夜明け前のような暗い中にいる。その中で、たくさんの幸せを探している。そして見つけている。のんちゃんが描くと、夜明け前の暗い空も、とても綺麗で希望に満ちているように見えるんだ。僕はそんなのんちゃんの手を取ろう。一緒に歩こう。時にはのんちゃんが歩く道を照らしてあげたいし、歩くのが大変なのんちゃんを支えてあげたい。

 それは、近くにいなくてもできること。あの後、僕はそんなことを考えた。


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