来たる入学式。学ランに身を包む翼。中学はブレザーだった。
 イメージ的には中学が学ランで高校がブレザーだったが、実際は逆であった。
 翼は、涼とクラス発表の場所をうろうろしていた。
 元サッカー部のおしゃれさん。私服を見たことがないので、おしゃれかは正直わからないのだが、雰囲気が何かおしゃれなのである。
 女の子が好きであり、中学時代は女の子とのコミュニケーションに重点を置いていたらしい。
 何故完全別学のこの学校に入ったのかは最大の謎である。
 突然、背後から叫び声がする。
「風矢くぅーん! ぐっふふー!」同じ中学出身の男子達は全員声の主がわかった。
「翼、よ、呼ばれてるぞ」怯えた声の涼。翼が振り向く前に雫が突っ込んでくる。
「誕生日! おめでとう! ぐふふ!」華やかに咲いた桜にも似たハイテンション。いや、美しく咲く桜と一緒にしてはいけない。
「あ、ありがと」やはり怯えた声の翼。今日、四月八日は翼十六歳の誕生日である。
 毎年始業式と重なる。今年は入学式と重なった。友達ができていない時期なので祝ってもらえないという素敵な誕生日である。
 しかし同じ中学出身の友達が多かったので、今年はその心配がなかった。
「後でプレゼント渡すからーぐふふっ」周囲の怯えた空気に多分気づいていない雫。
「あ、ありがと」怯えた翼の声は棒読み。
 因みに別学である風谷高校は、男子女子で校舎が違う。
 互いの校舎にはわざわざ外に出なくてはいけないし、少々離れている。
 クラスももちろん男女別なので、クラス発表の場所も違う。
「よくここに突っ込んでこれたなぁ」まだ怯えている翼。
「アイツは男子更衣室にも突っ込めるぞ」やはりまだ怯えている涼。
「あ、涼。俺と同じクラスだ」既に見なかったことにしている翼。
 周囲が珍獣を見たという反応を示しているが、翼と涼、そして雫を知る者達全員が知らないふりをした。

 今度のクラスは一年一組。また一組かよと翼は笑う。前から二番目、廊下側から二列目の席に座る。
 涼はその後ろに座る。席順は名前の順である。
 前の席には、いかにも大人しそうな少年が座っている。翼が座ると恐る恐る振り返ってくる。体は小柄で、垂れた目は優しく微笑んでいるよう。
「あ、風矢 翼です」すかさず自己紹介する翼。取り敢えず名乗ってみろよ、とは慎吾の言葉。
「えっと、荻野 泰則です」
 自分の名前を思い出すのに一瞬戸惑ったかのような自己紹介が返ってきた。
「実は、今日が誕生日です」さり気ない誕生日アピールをする翼。せっかくだから話題にしてしまえ、とも慎吾の言葉。
「そうなんですか!? おめでとうございます!」
「ありがとう!」
「凄いですね。入学式と同じ。めでたいね!」
 打ち解けたどころか早くも盛り上がる二人。後ろの涼が面白そうに眺めている。
「部活とか考えてます?」
「文芸部に入りたいです!」
「僕もです!」
 新しいクラスに入ってわずか数秒で翼には友達ができた。友達作りを不安がる翼に、慎吾が一生懸命レクチャーしたかいがあった。
「何の話してるかわからないけど俺もいれてくれよ」
 涼が笑顔のままで二人に話しかけた。

 入学式。大して語るべきことはない。
 校長の話に奇妙な相槌を打ちながら聞くという楽しい遊びを翼が考案して一人面白がっていたことくらいだろうか。
 その後は、対面式と新入生歓迎会だった。
 風高は変な人が多くてパワーが凄いと入学前に聞くのだが、新入生歓迎会ではそれをこれでもかというほどに体感させられた。
「まぁ、夏休み頃にはこのテンションになれるから〜!」なれるとも慣れるとも取れる。
 この先輩の発言が翼には印象的だった。
 因みに、雫からの誕生日プレゼントは翼の好きな本のイラストだった。
 いつのまにか翼の好きな本を知り、読み、描いていたらしい。

 入学式の後、またもや翼と慎吾は翼の家で話していた。二人はどう切ろうにも切れない仲なのだろうか?
「もう友達できたの!?」驚いた慎吾の声。
「あぁ。この誕生日のおかげだ」嬉しそうな翼。
「早すぎて誰も祝ってくれない日な!」
「その友達ね。本好きなんだって。めっちゃ語っちゃった」
「凄いよな。俺、本のタイトルだけなら詳しいぞ」
 翼は慎吾に常々本を語る。
「だって慎吾あまり本読まないじゃないか」
「だって俺は漫画の方が好きなんだもん」
「じゃあ何故俺の文章は読むんだ」
「だって翼の文章は確実に面白い」
「そう言ってくれるのはお前だけだ」
 翼は唐突に立ち上がり、部屋を出て、大量の本を持って戻ってきた。
「俺の好きな本。こっちの方がずっと面白い」
 作家、茅座 衣奈歩(いなほ)。翼が幼い頃から家にあり、翼がずっと好きで読んでいた作家。
 女性らしいということと翼の母と同じくらいの年ということ以外あまり明かされていることのない作家。
「K」でデビュー。
 そして綾座 かけるである。男性らしいということと、やはり翼の母と同じくらいの年らしい。
 少しの作品を残し、今は全くつかめることはないらしい。
「不思議なんだけどいいんだよ」
「何か翼に文章似てるな」ペラペラページをめくり、慎吾は呟く。
「数ページでわかるほど似てるのか!?」
「文章の方向は全然違うけど、何かが似ている」
「やっぱりな」
「やっぱり?」慎吾が首を傾ける。
「小さい頃から読んでるし」翼がニヤリと答えた。
「こんな難しいのを。しかも小さい頃」
「難しくないだろ。小さい頃はただめくってたんじゃね?」
「でも面白そう。翼と文章似てるし」
「俺が影響受けてる作家の本は他にもあるぞ」とまた本を取ってくる。
「そ、そんなに持ってこられても読めないよ!」
「読まなくていいよ。本に囲まれてると俺が幸せなの」
「本の虫ー読書王子ー!」楽しそうな慎吾。本に囲まれて楽しそうな翼。
 背の高めな男子二人でいる上に本で囲んでいる。狭そうなことこの上ない。しかし、それがまた楽しいらしい。
 笑い合う二人。
「何か嬉しそうだな。翼。学校楽しそう?」
「楽しそう。お前は?」
「俺も期待できそう」
 実は、翼は高校入学というより中学卒業が嬉しかった。とにかく早くあの中学を離れたかった。何より高校は別学だ。
 翼は中学時代の忌々しい記憶から開放されると思っていた。全てを忘れて高校生活を楽しもうと思っていた。
 しかし、翼の戦いはまだ終わってはいなかった。
 むしろ、再び始まっていた。

「お前にさ。ずっと聞いてみたかったことがあるんだけど」
 涼に切り出されたのは入学して数日の放課後。その日から部活見学が始まる。
「何?」
「受験の前くらいかな、率直に聞くけど、泣きながら倒れたの、何で?」
「知ってたの……?」
「知ってるに決まってるだろうが。二人でなんか深刻そうに話して、いきなり廊下に出てって、突然倒れるんだから」
 いつになく真剣なまなざしの涼。翼は咄嗟に言葉を返せない。
「後、だいぶヤバいことされたとか。フルボッコで返り討ちにしたとか。それマジ?」
 血の気が引いた。涼に嫌われる、と激しい恐怖が襲った。自分が汚いもののように思えて、強く二の腕を掴んだ。
「聞いちゃいけなかったかねぇ」
 ふと口調に軽さを取り戻し、涼は優しい目で肩を落とした。
「いや……」
 否定の言葉を吐き出しつつ、それ以上答えられない。
「ずかずかとごめん。遠まわしにとか、そういうの俺よくわかんなくて」
「だい、じょぶ……」
 そう言いながらも翼は後ずさり、目を逸らして涼に背を向けた。
「翼!」
 呼び止める言葉にも足を止めない。
「俺、翼がいい奴だって知ってるから!」
 動きが止まりかける。
「何聞いても、翼がいい奴だってわかってるから!」
 涙のスイッチを押されたようだった。振り切るように翼は足早に進んだ。

 校舎と校舎を結ぶ通路に立ち尽くしていた。嬉しいのか悲しいのか既にわからず、ただ胸が苦しかった。
「翼、どうかした?」
 重たい翼の空気を察してそっと声をかける泰則。
「どうもしねぇよ。大丈夫」普段どおりに笑う翼。
 何もないかのように笑うのには慣れていた。でも……それをこれからも続けていくのか?
 涼は翼を興味本位で追及したかったのではない。明るい面しか見せない翼が気になったのだ。友達だから。翼だってわかってた。
 これでは、翼が涼を信用してないと思われてもおかしくない。携帯を取り出す。涼からメールが来ていた。
『本当にごめん。聞かれたくないなら、もう聞かない。
 だから、これからも友達でいてほしい。』
 また涙腺のシャッターが開きかける。心配そうな泰則の目線を感じ、何とか抑える。
『こっちこそごめん。
 少し時間を下さい。』
 どうにかそれだけ返した。携帯をポケットに戻し、まだ隣に泰則がいることに気付いた。
「あ……立ち去るべきだったかな?」
「いや! 大丈夫! 何の問題もない」
「ならよかった。文芸部の見学、行かない? 翼と行きたいと思って……」
「そうだよ」思い出したという風な翼。
「俺もヤスを誘おうと思ってたんだよ」
「行こうぜ行こうぜ!」
 楽しそうな泰則。大人しいのは相変わらずだが、すっかり翼と涼と仲良しである。
 二人は文芸部のある場所――部室棟二階へと向かっていった。

 文芸部では新入生を待ち構えていた。二人が入ると手厚い歓迎を受けた。二年生も三年生もいた。
 この高校は、文化部も男女別があったりするが、文芸部は男女一緒とも別ともつかない微妙な位置にあるらしい。
 一応一緒らしい。部室には男子も女子もいる。
 部室は狭いが、一、二年だけ入るには充分らしい。木造で中央に大きなテーブルが置いてある。
 奥には長いすを二つ向かい合わせにくっつけたものがあり、物置になっている。
 小さめな本棚に漫画と本と今までの部誌がある。長いすの脇のダンボールには漫画や本が溢れるように入っている。
 女子が自分の顔を見て目の色を変えている。それを感じて翼は思わず壁に半身を隠した。
「つ、翼?」
 泰則がおろおろしている。翼は平静を装おうとするも上手くいかない。先程考えたことも思いだす。でも、いきなり出会ったばかりの泰則に今話せることでもない。
「……俺、ちょっと女子苦手で」
 明らかにちょっとではないのだが、翼はそれだけ言った。
「大丈夫?」
 温厚そうな先輩が翼を窺う。何故か手作りのエプロンをしている。エプロンにはロケットや星のアップリケがついていて、まさに幼稚園の先生のようであった。
「僕は部長の二宮真守です。真守先生って呼んで……」
「みんな部長と呼んでます」
 本人と背後の突っ込みによる自己紹介を受けた。
「女の子達、静かにしてねぇー。新しいお友達びっくりしちゃうから」
「園児扱いする部活じゃないから安心してね」
 部長は二人を招き入れ、椅子を差し出した。すっかり先輩達のペースに巻き込まれた二人はそのまま座る。
 二人は自己紹介し、部活の紹介をしてもらった。
 年二回の部誌発行と年数回の読書会と文化祭での展示と雑談と大貧民だそうだ。他にも色々。
「雑談と大貧民が八割だから」
 先輩達はとても楽しそうにそう言った。大貧民はトランプのゲーム。
 その後は先輩の言葉通り雑談だった。あの先生はどうなんだとかこの先の行事はこうだとか。
 先輩達の自己紹介だとか。好きな本だとか。
「あぁ、茅座さんいいよねー。というか名字似てるね、風矢と茅座。最近出した本もよかった。というかあの人プロフィール公開してなさすぎだよねー」
「綾座さんも読んだことあるー。何かデビュー数年で消えたらしいよね。でも書けなくなったとかそういうのじゃないらしいよね」
 翼の好きな作家二人もそれぞれ知っている先輩がいて、かなり語り合った。
 女子部員は部長の言葉を忠実に守り、翼との接触を最小限にしてくれた。その気遣いに恐怖も和らいだ。
 途中で雫も入ってきた。北川と一緒だった。
「何故に空野!? 美術部とかじゃないの!?」翼は真っ先に叫んだ。
「だって私が描きたいのはイラスト系だし。ここだと挿絵とか描かせてくれるって聞いたし。風矢君がいると思ったし」
 おそらく、いや確実に最後の一つが一番の理由だろう。北川はやはり本が好きらしい。
「風矢君だけが目的なのに、他の条件も偶然合致してくることに末恐ろしさを感じます」
「ぐふふふふふ」
 猫を被ることを知らないらしい二人にも、先輩達はまったく引かなかった。
「今年も面白い子達が入りそうだね」

 泰則と校門を出たら、他校の女子がいた。翼を見て、声を上げる。
「マジで風高なんだ! すごーいさすがカスト様」
 あの上級生達だった。血の気が引く。待ち伏せられていたのだ。
「カスト様マジで神」
 周囲の音は耳に入らなかった。脳内は乱雑になった。きょとんとする泰則を置いて、翼は自転車に乗って勢いよくその場を去った。


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