遂に来た、卒業式。
 答辞が読まれる。
 答辞作成委員はここで心が一つになる。
「読んでいるのは生徒会長だ、生徒会長だよ? でも書いたのは俺達だ! 俺達なんだ!」
 去年の卒業式も思い出す。
 送辞が読まれる。
 送辞作成委員はそこで心が一つになる。
「読んでいるのは副生徒会長だ、副生徒会長だよ? でも書いたのは俺達だ!俺達なんだ!」
 そんな彼ら、彼女らもお別れの歌の時は他のみんなとも一つになる。曲は「旅立ちの日に」。
 散々歌ったが、飽きることはなかった。いつも気持ちが入り込める。
 ラストで指揮者が一瞬、涙を拭う仕草を見せた。

 校門を出てから、三年生だけの別れの時間が始まる。クラス関係なく、自由に行動していいのである。
 これは決まりでなく、自然とそういう流れになるのである。
 卒業生達は、写真を撮りあったり喋ったりしている。
 現在、翼の目の前には列ができている。最後に翼と写真を撮りたいという女子が列を成すほどいた。
 最初は混乱状態だったのだが、翼の危険を察知した男子クラスメイト達が整理券を配りだし、列を作らせた。
 何故整理券なんて出てくるのか。それは卒業式の後、このような状況になると予測していたからである。
 事前に作成してあったようだ。妙なところに気が配れるクラスメイトである。
「ほらね、私の予測通りでしょ」
「北川ぁ!」
 慎吾が震える声で叫んだ。
 一部の女子が自分のファンであるように、自分を軽視していたのも一部だったのだと翼は気付いた。元は女子が自分に寄って来ることから始まっていた、と思い出した。
「俺、他のところ行きたいんだけど」隣にいる慎吾にこっそり呟く翼。
「だ、だろうな……」
「というか本当は真っ先に逃げようと思っていたのですが」
「解散の後、女子の目が一斉に翼に向いたもんな」
「助けて慎吾」
「助けたいよ翼」
 二人がこそこそしている間にも女子は翼の隣に並んで他の友達にカメラを構えてもらっている。
「はい、チーズ!」
 その言葉の瞬間だけ翼は貼り付けたような笑顔を作り、またこそこそモードに戻る。
「おしっ、最終手段で行くぞ」変に決心したかのような慎吾。
「は?」そんな慎吾に翼がきょとんとしている間にも女子は翼の隣に並ぶ。
「はい、バター!」
 次の瞬間、女子の隣に慎吾も並ぶ。女子は翼と慎吾に挟まれる形となる。しっかり笑顔を作り、ピースサインまでする慎吾。
 慎吾は写真撮影の邪魔をしようとしたのだ。
「きゃー! 蒼井君も写ってくれた!」
 しかしその作戦はあっけなく失敗に終わった。
「慎吾、お前こそ自分の顔のよさに自覚ないんだな」翼がしらけた声で言った。
「だって俺、一重じゃん」
「一重だと不細工なのか!? 全国の一重に謝れよ」
「だって翼の二重で大きい目に憧れる」
 会話している間にまたテンションの高い女子が並ぶ。
 勝手に腕を組まれたり腕を肩に回されたり大変である。
「はい、牛乳!」
 次の瞬間、周囲にいた男子クラスメイトが一斉にカメラの前に出現した。まるで三年一組の男子の集合写真。
「きゃー! 何でアンタ達まで入ってくるのよー!」
 女子の抗議には耳も貸さず、男子達は翼をガードする。
「風矢翼撮影会は、これを持って終了となります!」
 誰かが叫んだ。残りの女子達は名残惜しそうにその場を去っていった。
「皆さん、ありがとうございました。最後なのにご迷惑おかけしました」
 ぺっこりと頭を下げる翼。ため息混じりである。
 いいんだよいいんだよ。また会ったらよろしくな。とか会話を交わし、翼と慎吾はようやくその場を立ち去った。
「翼ってカメラ嫌いだよなー」
「もうあのシャッター音が嫌いで嫌いで仕方ない」
「何だよ盗撮でもされたのか?」
 慎吾はふざけたように笑う。
「されてる気がする。時々音がするから怖くなる」
「あの、初耳ですが?」
「だって初めて言ったもん」
 口調と裏腹に翼の表情がとても暗い。
「神経質なのかな、俺」
 微かに笑いながら話す翼に、慎吾は何も言えなかった。
 ちょっとした人ごみを抜けたら、そこには雫がいた。大きな道から一歩、小さな道に入った場所に彼女はいた。
 二人はそれを予想していた。慎吾がそっとその場を立ち去る。

「大好きです!」
 唐突に叫ぶ雫。予想はしていたが想像を超えていて、翼は怯んだ。目の前でいつもの笑顔を浮かべている雫。
 雫はとても背が低いので、背が高い翼はかなり見下ろす形となる。
 一瞬、間が空く。
「ごめんな。俺は……今は誰も好きになれない。誰とも付き合う気はない」
 翼は逸らしたいのを堪えながら雫の目を見て言った。
 彼女は泣くだろうか?
 いつものように笑うのだろうか?
 翼の心配そうな目を見て雫は言う。大きな丸い目はビー玉のように澄んでいた。
「うん。なんとなくわかってたよ」
 それは普段の彼女からは想像できない感じの真面目な返答だった。それなのに笑顔はいつものように満面で。
 また怯む翼。返す言葉が見つからない。
「高校、一緒だからまたよろしくね。ぐふふっ」
「あ、あぁ」唖然としたまま何とか声を息と吐き出す。
 雫は走り去って行った。ぴょこぴょこ弾むように。翼は混乱した頭と共に取り残された。
 夕暮れがそんな翼を照らす。沈みかけた夕日が翼に橙の光と蒼い影を作る。
 翼の中に、湧き上がる言葉達。
「わかってた」何が? 俺の、何が? お前は俺の何を知っている? 知っていて俺に好意を持ってくれるのか?
 脳内がぐるぐると回転する。誰にもぶつけられない大量の質問が高速で回転する。
 相変わらず立ち尽くす翼。そこに慎吾がやってきた。話の内容だけは聞こえていたらしい。
 翼が勝手に聞いていいと許可を出していた。むしろ近くにいてくれと頼んでいた。
「どうした? 大丈夫か?」
 ようやく我に返って焦点を慎吾に合わす。もの凄く心配そうな表情で翼を見ている。
「わかってた、って」また焦点が合わなくなる翼の目。
「そう言ったな」ゆっくりと出された慎吾の言葉。
「わかってたんだって」
「うん」
 未だ混乱したまま話し出す翼の言葉に慎吾はじっと耳を傾けた。
「慎吾も、わかってたのか?」呆然と泳いでいる翼の目。
「……」慎吾は目を伏せる。質問の意味がつかめない。翼にもつかめていない。
「翼が、その答えを言うのはなんとなくわかってた」
 翼に聞こえるか聞こえないかくらいの声で慎吾は答える。
「落ち着いてきたか?」慎吾が翼の目を覗く。
「取り敢えず」大きく息を吐き出して翼は答えた。
「帰ろ」慎吾が翼の肩をポンと叩く。
「ん」
 二人は帰路につく。最初の頃は何も言葉を交わさなかった。帰路の半分地点あたりで翼が唐突に言葉を発した。
「ごめんな。何か。凄い混乱しちゃって」
「俺は大丈夫だよ。それよりお前だよ。大丈夫か?」
「あぁ。もう大丈夫。相変わらず訳わからないけど」
「いいんじゃん? わかんなくて。高校入ってからもアイツには今まで通り接すればいいんじゃないか?」
「そうしてみる」
 そこで、慎吾はおもむろに携帯を取り出す。
「携帯、買ったんだ。アドレス交換しない?」
「実は俺も自分の買ってもらったんだ。同じ事考えてた」
 笑い合う二人。携帯を開いて操作を始める。
「慎吾、アドレスが名前そのままじゃないか?」
「気のせいだ」
 教えられたアドレスは、blue-signal〜と続いていく。
 ふと翼が慎吾の携帯に目を移すと、そこにはマスコットがついていた。
 紙に書いた絵をプラスチックのようなもので挟む構造になっている。絵はどうみても慎吾だった。
 そして、画風がどうみても雫のものだった。はっきりとした線、ポスターの様な明るい色使い。
 少女漫画な感じの顔なのに、色の付け方等は少年漫画のようだ。
「お前ももらったの?」
「やっぱりお前ももらってたか」慎吾がにっこり笑う。
 翼ももらっていた。翼イラストのマスコット。

 もらったその時、翼は打ちひしがれていた。いつも必死に耐えてはいたが、その時は一気に限界が来ていた。
 べったり張り付いた現実に押し潰されていた。剥がしたくても剥がれない。
 それまでの我慢が一気に解かれた。何にもあたれず、かと言って泣くこともできず。
 いや、涙さえ込み上げてこなかった。自分の中で溢れてしまった感情をどうすることもできなくなって。
 何故だか周囲全てが、自分が、遠く感じた。その場に自分が存在しないかのような錯覚を感じた。
 自分が自分でないような感じがした。
 気がつけば、目の前で雫がいつものようにニヤけていた。見渡せばそこは教室ではなく、屋上の入り口だった。
 三階から屋上の入り口前まで登る階段はあるが、そこから登る階段はもちろんない。
 途切れた階段の行き止まりは壁になっていて、廊下からは見えない。
 その壁に翼はもたれかかって座り込んでいた。手にはカッターが握られていた。
「はい。作ったの。あげる。渡そうとしたら突然どっか行っちゃうんだもん」
 唐突に雫は喋りだし、翼の手に小さめな何かを押し付け突進するように去っていった。
 見ると、それはストラップだった。プラスチックのようなもので紙が挟んであり、プラスチック部分にひもがついていた。
 紙には、翼のイラストが描かれていた。
 ありがとう、と言う間もなく彼女は去っていた。
 結果的に、翼は何もせずに済んだ。
 後々、
 ――あのまま無意識に行動していたら今頃どうなっていたのやら?
 と思うと翼は雫に救われたことになる。
 その後、雫のお守りマスコットを見かけなくなったという話が一部に広がった。

「何故か俺ももらったんだよ。セットで描いてくれたらしい」慎吾は楽しそうに話す。
「確かに並べたら完全にセットだな」
 二つのマスコットを並べたら、一つの絵の様であった。
 翼と、慎吾。これからは頻繁に会うことはできなくなる。
 ずっと一緒という時間は終わった。
「ま、お互い高校も頑張ろうな」
「頻繁に連絡取ろうな」
 とか何とか話す。翼の家と慎吾の家の分かれ道。そう言葉を交わして、二人は……
 翼の家へ二人で向かった。明日から春休み。また泊まる気だろうか。

 春休みは、やはり慎吾と過ごしていた。入学前だというのに出された大量の課題をやっていた。
 その横で慎吾は翼の書いた文章を読んでいた。カレイドスコープ以外にも掌編小説や詩を書いていた。
「お前ってやっぱり凄いなー。何度読んでも凄い」
「そう言ってくれるのはきっとお前だけだよ」
「そんなことない」
 他愛もなく笑い合う二人。相変わらず仲がいい。
「何か凄い」
「何が凄いんだよ」
「全部」
「それじゃわからねぇよ」
 また他愛もなく笑い合う二人。カレイドスコープも少しずつ進んでいる。
 翼自身が疑っている記憶喪失については何の進展もないが。
「俺さ。何か交通事故にあったことあるらしいよ」唐突に翼は話し出す。
「また、らしい話なのかよ」言葉と裏腹に興味津々な慎吾。
 付き合いが長いのに、この話題は今まではなかったらしい。
「六歳くらいん時? 入院してた記憶がある」
「おぅ。初耳だ」
「でも、車に轢かれた記憶とか無いんだよ」
「迫ってくる車に気づかずにぶつかってすぐ意識なくしたらありえるんじゃね?」
「……と俺も思っている」
 そう。もしかしたらその時事故に遭遇した記憶がないのが真相なのかな、とか翼は何度も考えた。
 でも違う。何か違う。頭の中の絵がパズルになっていて、ピースが抜けている気がする。
 交通事故というピースが、何故か抜けているそこにははまらない。
「しかしだな。あの母親の言葉が信じられるか」
「お前のオカン信用ないなぁ」
「何処のオカンが父親は宇宙人にさらわれたの、とか普通に言うんだよ」
「突然だがずっと気になってたことを聞いていいか?」
「本当に突然だな」慣れているのか翼は微笑む。
「お前のオカン、再婚とか……しないの?」おずおずと慎吾は尋ねる。
「凄い聞きづらそうに聞いてるが真相はくだらないぞ?」
「大丈夫。お前のオカンの不思議発言には慣れてきた」
「じゃあ歯ぁーを食いしばれぇ!」叫ぶ翼。
「どーんだけ覚悟がいるんだ?」同じテンションで答える慎吾。
「隼翔君よりカッコいい人じゃないと……結婚なんてできるわけないでしょ!」
 また母親の口調を真似る翼。
「何だ!? オカン究極の面食いか!?」
「後は、電波が合う人というか同じ星の人が見つからないらしい」
「あ、そうだな。翼の両親さんの出会いは運命的で奇跡的だもん」
「父さんがいない理由に、『父さんは星に帰ったのよっ』もある」
 幼い頃はそう聞かされたらしい。
「母さんは帰らないのか」
「俺も聞いた。母さんは翼と翔を地球で育てなきゃいけないから残ったんだそうだ」
 そこで言葉を切り、翼は真面目な表情で慎吾を見る。そして言う。
「前さ、翔の妊娠が発覚した時のこと、話したよな?」
「あ、あぁ」突然慎吾の表情が曇る。
「深く考えると、あれはあってるのかもしれない。でもあれも『何故星に帰ったか』がわからないから結局なんで死んだのかよくわからないけど」
「やっぱり、知りたい?」
「知りたいけど、いい。あの人はあの人なりに言わない理由があるんかもしれないし。ただ」
「ただ?」
「寝ぼけて『隼翔ー』とか言いながら俺を襲うのはやめて欲しい」
「お前そんなことされてたのか」
「これからもっと似てきそうなのにどうしようか」
「親孝行に襲われてあげれば?」
「絶対、嫌です」


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