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Kaleidoscope
最後の模試は、安全圏に近い合格圏だった。結局合格圏かよ。でも翼は満足だった。
相変わらず苦しい学校生活だったが、慎吾がいれば楽しかった。勉強もいきなり感覚が掴めたようにはかどって、今回の好成績だ。
受験前日、母はチーズチキンカツを作ってくれて、翔と美味しく食べた。程よい緊張感で、夜もよく眠れたと思う。
本番もそれなりにできた。慎吾も涼もバッチリだ! と言っていた。きっと慎吾と涼のバッチリは違うんだろうなと翼は思った。
雫もバッチリと言っていた。そのポジティブさを分けてほしいなと翼は思った。
開放感! 何という開放感!
遂に巨大な敵にして高い壁の高校入試が終わったのである。
「ひゃっほーぃ!」
家に帰った翼は両手を広げて叫んだ。開放的な声で叫んだ。学校自体が大変すぎて気付かなかったが、受験に不安は当然あったのだ。先に家に帰っていたらしい翔が驚く。
「お母さーん! 兄ちゃんがラリったぁ!」
「そっとしておいてあげなさーい」
翔は気楽な母の発言に、素直に返事をした。
翼は、和室にあるパソコンの前に座った。起動ボタンを押す。ブィーンと音を立てて動き出すノートパソコン。
デスクトップ画面に到達したら、マウスポインタはまっすぐテキストエディタへ向かった。
年の割にはとても垢抜けた美貌の少年が、無心にパソコンをカタカタやっているのも怪しいものがある。
しかも、ピアノ奏者でもある翼のタイピングはそれなりに速い。(十分間で、九百文字超。当社調べ)
彼が書く特技の欄はいつも「ピアノ、タイピング」
時が過ぎるごとに、パソコンの画面に文字が紡がれていく。受験から開放されたので、心置きなく書ける。受験期間も書いていたが、やはり余裕が違う。
翼は爽やかな笑顔(もしくは何人もの女子を虜にした笑顔)で書いている。
タイトルは、カレイドスコープ。
☆
暗い、色の見分けさえつかない世界で俺はうずくまっていた。
明かりのない夜はきっと、こんな感じなのだろう。
今が真夜中なのか夜明け前なのかわからない。時計もない中で朝をひたすら待っている。
要はこの暗い世界からいつになれば抜け出せるのかわからないまま待っている。
待っているのにも飽きてきた。
俺の世界が暗くなる前の世界と、本当は俺に見えていないだけで存在しているはずの色達が知りたい。
暗い幕に覆われた色達を目に映したい。
ここに留まる理由がないと気付いた。
ここにいなくてもいいのだと気付いた。
荷造りは終えた。
足元に落ちている色の欠片をかき集めた。それだけが旅の供。
俺は自分の欠落した何かを探しに行くことにした。
欠落感を、埋める旅。綺麗な色を探す旅。
何もかもを覆いつくした暗い色ばかりの世界を走り始めた。
俺の旅は始まった。
遠くに明かりが一瞬見えて、その一瞬に俺はとても綺麗な色を見た気がする。
光が、見えた。
☆
突然パソコンに向かって頷きだす翼。書いていたことは、翼本人のことである。もちろん翼は旅に出たりしないが。
欠落。自分自身に欠落を感じるのだ。何が欠けているかもわからない。
――何が欠けているのだろう?
考えてまず浮かんだのは、記憶だった。
何処となく、記憶が抜けている気がしている。
何処となく、記憶がおかしい気がしている。
そのことを小説に書いている。記憶のことは、まだ誰にも話していない。気のせいではないかという考えが翼には常にあるからだ。
夕方の教室の時も、感覚を失くしていたくせにいきなりパニックに陥った。あの不自然さが腑に落ちない。あの感覚の意味がわからない。自分の謎は多い。
――何の手がかりもつかめていない今、この先を書くのは難しい。
と翼は判断した。
それと同時に立ち上がる。突発的に、散歩にでかけることにしたのだ。思い当たる節がある。
翼には本人も何故だかわからない習性がある。そのことを自分で調べるという目的だ。わかったら小説も進む。
しかし、翼は全く謎を解く自信がなかった。
外を歩く。翼の家の近所。そして十字路の左前に公園が見えてくる。
公園の脇――十字路から真っ直ぐの狭い一方通行の道をまっすぐ進むと、翼が受験した高校に辿り着く。
県立風谷(かぜがや)高校。なんて近所の高校なのだろう。
翼が合格した際には、通学時間自転車で五分という生活が訪れる。
翼は一方通行の道の入り口に立つ。そこから一歩が踏み出せない。
どうしても一歩が踏み出せない。
何故だろう。翼はこの道を通ることができないのである。立ち尽くす。体が硬直して言うことを聞かず、立ち尽くす。
ここから車は入れない。反対側からではないと通ってはいけない。
翼は考える。
――俺は……
俺は……車か!?
しかし翼は反対側からでも渡ることができない。自分が車的思考だからという線はない。
何故だ。何故自分は一方通行のこの道を両方から通行できないのだ。翼はひたすら考える。
すると、突然肩を叩かれた。かなり驚いて翼は振り返った。慎吾がいた。
「どうしたんだよ。こんなとこに突っ立って」
「あぁ、ちょっとな」
翼は言葉を濁す事しかできなかった。結局謎の習性については何もわからず、慎吾にも話す事ができなかった。
慎吾もそれ以上何も尋ねなかった。
「暇なら散歩しようぜ。受験終わったし!」慎吾は楽しそうに言った。
「オッケー、俺は結果など考えない」
「俺も結果は考えない!」
清清しく言い放ち、二人は散歩に出かけた。その後は今日も翼の家でお泊まり会。
「アレ、どうするか?」慎吾がニヤリとして話を切り出す。
アレ、とは予餞会とは別に行う三年生だけのお別れ会である。
予餞会は全体でやる企画がほとんどなのだが、お別れ会は三年生だけなので有志を多く募るのである。
翼と慎吾は二人で何かやろうかと考えているのである。
「やるっきゃないだろ」翼もニヤリとして言葉を返す。
既に話は進んでいるのである。
二人は翼作詞、翼と慎吾作曲の曲を披露してやろうと思っている。
翼作詞の歌詞を見て、慎吾は呟く。
「ささやかな反撃か?」
「何のことでしょう」
「だってよ、簡単に言えば歌詞の内容さぁ『覚えてろよ! お前にされたこと忘れないからな! 絶対這い上がって戻ってきてやる!』って感じじゃん」
慎吾は『』内にやたらと感情を込めた。
「気のせいだよ気のせい。みんな新たな旅立ちじゃないか。前向きな歌詞でちょうどいいだろ?」翼はにっこりとしながら言った。
というより、これ以上何も言わさぬ! という感じも見受けられた。
「そんなことより編曲どうしようか」
翼はピアノとギターを少し。慎吾もギターを少し弾ける程度。編曲まではできないのである。
「あ、それならウチの兄貴の知り合いに頼んじゃったよもう。俺って仕事早いだろ?」
慎吾は褒めて褒めてという感じに翼に寄ってくる。慎吾には進という兄がいる。
「何だよー早く言えよ。で、楽譜はあるんだよな?」褒めてやるよ。という感じに慎吾の頭を撫でる翼。
「もちろん!」得意げに慎吾は楽譜を広げる。
伴奏はピアノとギターで構成されている。
「これなら弾けるよな?」
「おぅ」
テンションの上がってきた二人。
「早速合わせるか?」と慎吾が言葉を発した瞬間に二人の空気が止まる。
冷静に考えて今は夜である。大きな音は出せない。
「俺、ヘッドフォンつけてピアノ弾くか!?」
翼の部屋のピアノは電子ピアノである。
「じゃあ俺は音を出さずにエアギターで弾くか!?」
ここでまた二人の空気が止まる。
「それじゃあ意味ないじゃんか!」
二人は双子かと思うほど同時に言葉をハモらせた。
結局お互い個人練習を始めた。翼はヘッドフォンをつけて。慎吾はエアギター――イメトレで。
ピアノを弾きながら翼は呟くように歌いだす。
メインヴォーカルは翼である。鼻声なのかハスキーなのか不思議な声が優しく響く。
傷ばかりを抱えて飛び立つことになるけれど。
きっといつかは大空へ。
きっといつかは雲の上へ。
翼は楽譜をじっと見つめながら歌う。歌詞に自分の気持ちが投影されてきて、翼はどうしようもない気持ちに襲われた。
きっと、隣でまた目を潤ませる慎吾がいるからだ。
曲名は「Y.O.C.」。慎吾にはまだ由来を話していない。
youth of counterattack。反撃の青春。
教室で慎吾は唐突に話し出した。
「なぁ、あの曲の歌詞さ。印刷して配っちゃったりしない?」
「え、何、恥ずかしいって!」
「こんないい歌詞なのにぃ」慎吾が涙声を演じる。
「わかった。わぁったから」笑いながら翼は仕方なさげに答えた。
そこに、イノシシの如し突進してくる影。もちろん雫だ。
「私も見る!」
翼関連のことで漏れを作りたくないらしい。
関われるだけ関わりたい。そんな雫の気持ちはクラスの誰もが知っている。
ここまで自分の気持ちを表に出せるというのはある意味とても幸せなのかもしれない。
「あ、翼。空野に挿絵頼んだら?」
「描きます!」
翼へ慎吾は問いかけた。翼が答える前に雫が答えた。
「ま、まぁいいんじゃないか? 文だけよりは」
雫の勢いに圧されながら翼は震える声を出した。
「よかったなぁ!」
慎吾は翼とは対照的な能天気な声で雫の肩を叩いた。
翌日にはもう挿絵が完成していた。普段通り満面の笑みで雫が渡してきた。歌詞の横に、イラストが描かれていた。
息で温めるように両手を軽く合わせていて、伏し目で。泣きそうな感じもするのに涙は全く流していなくて。
凄く切なげな表情をしている少年。傷ついてはいるが十分飛べそうな翼。
「これは、翼?」挿絵に感心しながら慎吾が雫に尋ねる。
「ぐふふー」雫は絶対辞書に載っていなそうな言葉を返した。
他の雫の友達も挿絵を輝いた目で見ていた。そして口を揃えて言う。
「やっぱり絵『だけ』は上手い」
公立高校合格発表の時が来た。翼達の中学では、合格なら午前中、不合格なら午後に登校することになっている。
合格発表のその日。三月上旬にも関わらず、雪が降った後だった。雪で歩きづらい道を翼は歩く。
もう溶けかけているけど水になりきれてない中途半端なその雪は、合格発表を待つ受験生達の気持ちにも似ていた。
高校に到着したら、たくさんの人が緊張を紛らわすかのようにひたすら会話していた。そして遂に合格者が発表される。
翼は人ごみで、すぐに見ることができなかった。
不安だとか緊張だとかでごちゃごちゃな気持ちだったので早く自分の目で見たい、
と思っていたら同じ高校を受けた友達がひょっこり人ごみから現われた。
「翼って643だよな?」
「あぁ」
「あったよ」
「……!? マジで!?」
友達はあまりにもあっさり告げた。間も抑揚も何もない。人ごみが解消されるのを待たずに翼は人の間を分け入った。
掲示されている番号達を見る。
そこには確かにあった。「643」が。
心にのしかかっていた重みが一気に取れる。声には出さずに叫ぶ。「やった!」
伝えてくれた友達も受かっていた。
そして、何故か。
「風矢く〜ん。ぐふっ」
忘れていたが雫も同じ高校を受けていた。
「私も受かったよ〜ぐふふぅ〜」
「何で!?」
周囲にいた、同じ中学の人達は叫んだ。落ちた人も受かった人も。地元の高校だけあって、受けた人は多いのだ。
「何で、コイツが!?」
落ちた人なんかこれ以上の屈辱はないという表情を作り始める。
倍率は前にも書いたよう、1.72。決して低い倍率ではない。
みんな、「何で!?」「何故だ!?」と理由を問う言葉ばかりを発していた。
翼は受かったので午前中に登校する。
雪で歩きづらいということを考慮して早く出たら、誰よりも早く到着してしまった。
教室で一人待つ。答辞作成委員だったので、答辞を書いていた。余談ではあるが、翼は送辞作成委員もやっていた。
国語だけ常に五段階評価の「5」なので選ばれてしまう。何故か雫も選ばれている。
担任の先生も教室にやってきた。翼におめでとう等と声をかける。
「翼は初志貫徹だな!」
「はい!」
翼は段々現実的になってくる幸せに対して素直に笑顔になれた。
担任は、後ろのドアの鍵を閉めた。前からではないと入れないようにする。
そして、前のドアの入ったすぐのところで待ち構える。
他の合格者も登校してきた。前のドアから入ってくる合格者に担任は満面の笑顔でハイタッチしていた。
翼は最初に来たので、その様子を全て見ることができた。いい光景だなと嬉しくなった。
慎吾も入ってきた。待ち構えていた担任に一瞬驚き、それからとても幸せそうな笑顔でハイタッチした。
雫はここでも、「何で!? 何故だ!?」と担任にまで合格を驚かれていた。
もしかしたらクラスで、下手したら学年で一番無謀な受験をしていたのかもしれない。
翼と慎吾が教室を出る直前に見たのは、ベランダで風に吹かれる担任と数人の男子生徒だった。
曇った空と灰色のベランダが同化する。
「青春だな」
「先生は、これから暗い時間を過ごすからな。気分転換かな」
暗い時間とは、午後の不合格者との時間のことだろう。
そんな会話を交わして、二人は教室を去っていった。
お別れ会本番。翼と慎吾が舞台にあがる直前に、雫達があの挿絵つき歌詞を配っていた。
因みにこのボランティアを買って出たのも雫である。
司会が二人を紹介する。幕が上がる、と同時にきゃーきゃーと女子の悲鳴があがる。忘れていたが慎吾も顔がいいのである。そしてその明るい性格故、人気者でもあった。
翼に対しては、訝しげな声と嘲笑が上がる。
「あいつ、何やってんの?」
予想していたことだった。だが、歓声は翼にも向いていることに気付いた。雫とその友人達が、自分の名を呼び黄色い声を上げている。とても驚いた。自分は既に見向きもされないものと思っていた。
舞台の真ん中にグランドピアノ。ピアノの前にギターを持った慎吾。
翼のアカペラから歌は始まる。そして一気に伴奏が入る。
一曲目は簡単に言えば
『覚えてろよ! お前にされたこと忘れないからな! 絶対這い上がって戻ってきてやる!』という感じであるらしい曲。Y.O.C.。
翼の優しい声に強い歌詞。雫が涙で瞳を潤ませている。慎吾も笑顔であるが何処となく切なそうな表情。
翼は最後まで優しい声のまま。それなのに感情だけはこもっていて。
二曲目はノリでラップを入れた。入れて翼に歌わせてみたら、予想外に上手かった。なんともカッコよかった。
「そういえば翼は口が回る奴だった。基本的事項を忘れていた」
と慎吾はこのように語っている。基本的事項、は言葉につまる慎吾に翼が教えてあげた言葉である。
翼得意のピアノ早弾きも入っている。口と指は早く動く翼。
テンポのいい曲に観客も盛り上がった。
二人が歌いきった後、拍手が鳴り止まなかった。アンコールを受け、二人は三曲目も歌った。
絵も好評だった。誰が描いたの? という声が多数あがっていた。
大成功だった。