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病室に戻ると、翼はある気持ちが噴水のように湧いていた。
「慎吾、俺、本読みたい。小説書きたい」
こんな時にと自分でも思うが、シンプルなその気持ちはとても強いものだった。
「そう言う気がして、持ってきたよ。翔が是非パソコンも持って行けと」
読みかけの本と家のノートパソコンを渡される。それから帰って行った。
どんな時でも、本は読みたくなるし小説は書きたくなった。いつ何時どんな感情を抱いても、最後にはそこに帰結していた。
痛みも動揺も安心も全部過ぎると、その気持ちだけが残っていた。心の定位置かのように。
机の上に積まれた本。ノートパソコンにはたくさんの文章が入っている。
ふと振り返る。すると自分を支えてくれた本達と、自分の痛みが形になった小説達が、そこにはたくさんあった。
構築した世界を眺め、愛おしくなった。好きだから。この文学世界が大好きだから。
依存でも逃避でもない。やっぱり自分は本が好きで、書くことを愛している。
苦しんでいたからじゃない。愛していたから読んでいたし、書いていたんだ。
世界は回る。景色も回る。
書くことを愛している。だから苦しみはただの経験値だ。書くための材料だ。
書かなければ意味をなくすのではない。書くための意味があったのだ。
「あったよ。苦しみに意味が。勝ったよ、俺」
――あんな過去全部、ただの経験値だ! 世界の材料だ!
目に入るもの、耳に入るもの、全身で感じるもの、全てが自分を作っている。全てが創作の種だ。
視界は彩られていた。顔を上げたら、いくつもの色がそこにはあった。
欠けたピースなんて小さかった。欠けた以上に、全体の絵画は大きくなっていた。翼を構成する絵画。
たくさんの本、文章、そして慎吾を始めとした仲間達。失った量を遥かに超えるものを、十分すぎる程手にしていた。
病室で一人、翼はキーボードを叩く。
夕暮れから夜空に変わる薄暗い病室。ディスプレイだけが強い光を放っているように見える。
これまでを振り返って、自分の得た結論と想いを書き綴る。想いは留まることなく溢れ出す。
ショパンのピアノの様に綺麗に流れて止まらない。ラストへと止まることなく文字を走らせていく。
☆
暗い世界で必死に明かりを、光を探した。霞むような光を見つけては掴もうとした。探すうちに見えてきた。
顔を上げてみたら、綺麗な色が広がっていたのだ。
暗い世界しか見えていなかったから、気付かなかった。光はすぐそこにもあると。
光はすぐそこにもあって、その光は色んな色を映し出して俺に見せてくれていた。
暗い色があれば、明るい色がある。薄汚れた色があれば、綺麗な色もある。
この世界は、色々な色がある。何もかもが嫌になって、全てを壊したくなるような色がある。
恨みや憤りでどうしようもなくなったような色もある。激しい悲しみの色。死ぬかと思うほど痛い色。
でもそれだけではない。そこから救い出される様な色だってあるのだ。誰かを純粋に愛した色。純粋に愛された色。
全てを理解してもらえた色。腹を抱えて笑える楽しい色。固い友情の色。
世界は、苦しいだけでもなければ、嬉しいだけでもない。悲しいだけでもなければ、楽しいだけでもない。
それでもいつだって希望は開けているのだ。
そんな極彩色が回る。この世界を回る。あらゆる色が回るその様子はあの万華鏡にも似て。
俺はまたカラフルな世界で生きていく。再び暗い世界に落とされても、きっと何処かに光を見つけられるだろう。綺麗な色を見い出すことができるだろう。
俺は万華鏡の中で歩いていく。
この万華鏡を、愛しているから。
ここから始まるカレイドスコープ。
ずっと彷徨っていた世界、カレイドスコープ。
俺は万華鏡の中を歩いていく。
これからも、ずっと。
☆
書き終わった。遂に書き終わった。長編小説、カレイドスコープ。自分の強い感情を吐き出しきった。
燃え尽きたかのような気分で翼はパソコンのディスプレイを覗く。
中学生の時。人は裏切るものだ。自分を貶めるものだ。と思っていた。人間というものが信じられなかった。
降りしきる冷たい雨に晒されているようだった。
高校に入ってから。中学との対比に驚いた。みんなが優しく、いい人だった。傷ついた自分を癒やしてくれる場ができた。
もがき苦しんでいるところから救ってもらえた。豪雨でずぶ濡れになっていたところに傘を差してもらうことができた。
救いはあった。希望も期待もあるのだ、それらを心に持ってもいいのだ。止まらない涙から、笑顔にもなれる。
翼は、ディスプレイに向かって微笑む。世界は万華鏡だ。万華鏡は巨大なパレットで、あらゆる色をすくい出せる。どんな小説でも描ける。
この光を、愛情という希望という光を、見ている限り。
それがカレイドスコープの、翼の旅路の終着だった。
そして、パソコンの電源を切り、ディスプレイ部分を閉じる。
外に視線を向けると、窓に切り抜かれた夜の風景が見える。
達成感と満足感。全部出し切った。深く底の見えない沼から抜け出せる気がした。小説にも書いたように、光が見える気がした。
悪いことは終わったのだ。そして、これから輝いた光の中の世界に行けるという直感。翼の直感はよく当たる。
翼はガッツポーズをする。
両翼は綺麗に広げられ、何処へでも羽ばたいていけそうだった。
何故だか突然眠気が襲う。
横になり、布団をかぶって。翼は眠りについた。
完成した小説は、慎吾の勧めで、文学賞に出すことにしてみた。初めての、挑戦。
翼は夏休み最初の日に退院できた。地元の祭りに間に合ったと喜んでいる。地元の祭りは七月二十、二十一、二十二日。
慎吾や部活の友達と行く。最終日は慎吾と一緒に出店を見て回った。
「ぐっふー! 風矢君に会えたー!」
「出た」
雫に遭遇した。翼と慎吾はいつもと同じ反応をする。珍獣が出たかのような、あの反応。
「好きです!」
「はいはい」
何度目かになるかわからない告白。だが今回は普段のように流すだけではなかった。雫に対する感情が変わりつつあるから。翼は言葉を続ける。
「返事、させてもらいたいんだけど、いい?」
これは、慎吾にも対する質問。もちろん、雫に対する質問でもある。二人とも頷く。
翼は雫を連れて少し祭りの中心から外れた場所に行く。慎吾には、別の場所で待ってもらうことにした。
祭りの中心からは少し離れているが、祭り独特の明るさはここまで届いている。少し遠くでお囃子の音が聞こえる。
「俺、お前のこと好きになれそう。恋人というか、友達というか、わからないけど。異性というものに好意を抱いたことがあんましないからわからないけど」
雫は黙って頷く。よくわかっていないようだ。翼にもあまりわかっていないのだから仕方ないのだが。
「助けてくれたのは空野の方だ。いつだって。いつだって俺は空野に救われていた」
屋上で雫と話した時に抱いた感謝の念は、その後イラストを見て、愛情でもあると悟った。特別な人だと気付いた。雫が受け入れてくれるなら、雫も翼の特別な人であってほしいと願った。
ただ、一番本命らしい自分にだけは飛びつかないということが気になっていた。
「今まで通り、飛びつかないでほしいし、手も繋げない。もっと面倒なことだってあると思う。それでもいいのか?」
「いいんです。妄想で何とかしてますから」
言葉と正反対に大真面目な雫。
また大きくため息をつく、翼。だけど幸せは逃げず、むしろやって来ていた。
「それでもお前は俺と付き合いたいの?」
「はい! もちろん! オフコース!」
叫ぶ雫。何とも愛嬌のある笑顔。
そんな雫を見て翼は微笑む。雫と対照的に大人っぽい翼。
「あの、風矢君こそ私でいいの? 何でまた、私?」
「何でだろうなー」
翼は言葉を切り、俯いて笑う。楽しそうに。そして言う。
「母さんと、似てるからかな。だから、好きになった。これが恋とかいうものなのかはわからないけど」
いつも自分を見てくれていて、ピンチの時には毎回救ってくれた。自分の全てを受け止めてくれた雫。
また言葉を切って、雫の目を見て、翼は言う。
「ともかくお前が、好きなんだよ。俺は」