文化祭準備に明け暮れる教室。遅くまで生徒が残っている。夕方の教室にたくさんの製作途中の装飾が照らされている。
 あの凄い装飾は比較的チープな物で構成されている。三年生なんてとても豪華なのだが、どうやって作っているのだろう?
 翼は、人数の関係上部活の方の準備に携わることが多いのだが、あまりにもクラスの方に参加しないのもな。と思い、その日はクラスの装飾を手伝っていた。
 みんな、廊下で作業をしていて、教室の中にいるのは涼と泰則と翼の三人。三人でその日に割り振られた担当をやっている。
「色々足りない材料あるから買い出し行く?」
「うん」
「誰かここ残る?」
「……俺は嫌だ」翼が唐突に言い出す。何処となく怯えている。
「じゃあ、みんなで行っちゃうか!」翼とは正反対の明るい声で涼は言った。
「というか翼、何か怖いの?」怯えたのに気付いた泰則が言う。
「放課後の教室嫌い」実は、三人でいても少し怖かったらしい。
「えー。空野さんが言ってたよ?『答辞作成委員で、凄く時間が遅くなった時、夜の暗い学校を楽しくみんなで探検した! 翼君が一人で理科室とか乗り込んでた!』って」
「夜は平気なんだよ。夜は」
「普通逆だろー」涼が笑い出す。
「夕暮れの教室が駄目なんだよ」
「何故だ! 告白シチュエーションにはもってこいであり青春を感じる放課後の教室を拒否するとは!」
 何故だか放課後の教室を熱く語る涼。
「知らねぇよー。いいじゃんかよー。駄目なものの一つや二つや三つや四つ」
 翼は笑うが、理由なんてわかっている。本当はわかっている。生理的に受け付けなくなってしまっている。女子と同じ。
 ――もしかして一方通行の道も同じ?
 でもそれは何故だかわからない。自分でも謎が多い。どうしてくれようか。
 三人で廊下に出て、誰もいない教室に一瞬目を向けた。吐き気と眩暈が襲ってきて翼はしゃがみこんでしまった。
「え、マジで。そんなに駄目なの!?」
「だ、大丈夫翼!?」
 焦りだす二人。大丈夫と言って翼は立ち上がり、三人は楽しく買い出しへと行った。あの一度きりで、待ち伏せる者はいなかった。だから翼は気にしないことにした。

 この日は文芸部の方の文化祭準備。写真部にはもう翼父の写真集を提供してきていた。衣装も披露しあった。文化祭秒読み。
 翼も部活の女子とは何とか話せるようになった。まだちゃんとは心を開けていないが。最低限は付き合える。
 泰則から聞いたのだが、雫や北川が気を回したらしい。
 求めていたものがここにある。ここだったら大丈夫。
 夕方の教室、寄ってくる女子。過去を否応がなく思い出すことがその後もあった。体調を崩すことも度々あった。その度に翼は絶望した。
 ――どうして何処に行っても逃げられないの? 忘れさせてくれないの?
 あれも苦手、これも駄目。どんどん行き場も居場所もなくしている気がした。
 それでもここなら。部室にいる時だけは安心できた。

 ただ、痛みばかりがじわじわと翼を苦しめていた。一人でただ苦しんでは出口が見えなくなっていく。
 今日も車から自分を見つめる人。時折聞こえるシャッター音。記憶が思い返されては沸き起こる激しい嫌悪感。
 この先、自分はどうなってしまうのか。翼はいつも考える。

「部誌ができました!」
 そう言って二年の部長は部誌を部員に配りだす。部室の隅に、たくさんの部誌の束が置かれた。これは文化祭での販売用である。
 早速目を通し始める面々。さすがにその場で読みきれる長さではない。
 後日、自然の流れでみんなで感想を言い合った。
「風弓(かざゆみ)って、翼?」
「わかりやすっ」
「つーか、風翼(ふうよく)って雫?」
「いかにも翼から来ているペンネーム?」
「風弓さん凄い……」
「俺も思った!」
 次々に、無秩序に吐き出される言葉。翼が突っ込む隙もない。
「だって風弓さん、コメディだったり純愛だったり何でも凄い文章力で書けてるし」
「プロ級だろプロ級」
「ねぇ、風翼は内容のおかしさとイラストで変な目立ち方してるよ?」
 翼のペンネーム、風弓は「さん」付きなのに、雫のペンネーム、風翼は呼び捨てというのは自然の流れと何かのレベルの差である。
「ぐふふっラブコメなのぉ」
「なんで海賊と農民とスーパーのバイトが共演してるの?」
「ぐふふっぐふふっ」答えになっていない。
 雫が発している奇声を聞こえないようにしながら翼と泰則は語っていた。泰則はしっかりとした文体で、静かな話を書いていた。
 翼は色んなジャンルのを書いているが、そのどれもが凄いというのが周囲の評判だった。
「翼、ちょっと先生とお話ししようか」
「ん、何ですか?」
「部長、風矢君をどうするつもりですか!? 何かするんですよね!? して下さい!」
「残念ながら空野……部長は先生モードになると恋愛感情の類が消えるんだ……」
「消えるはずなのに風矢君の美しさでスイッチが入っちゃうんですね!」
「…………」
 突っ込む気力もない。

 翼は真守部長と向かいの空き教室に入った。
「あの……何ですか?」
「気持ちはわかるけど、そんなに緊張しなくていいよ」
「はい……」
「翼のね、小説読んだよ。本当に凄い。驚いた」
「ありがとうございます……」
「本題なんだけど。翼、これ書いてる時、楽しかった?」
「え?」
 答えに詰まった。そんなこと尋ねられるなんて予想外だった。
「追い詰められながら書いた感じがしたんだよ。逃げてるような、必死で追ってるような。苦しみもがいているような、ね」
「……文章に出てましたか?」
「いや、僕が翼のことを知ってるからかな」
 慎吾に確信を突かれた時と似たような気持ちになった。体の中を掻き回されているようだ。
「作家っていうのは、書きたいから書くものだと思ってる。大好きだから、書くことを選ぶんだと思ってる」
 真っ直ぐ目を見据えられる。翼も居住まいを正す。
「翼はきっと、書くことで自分を癒そうと、立ち向かおうとしてるんだね。それはそれでいいと思う」
 真守部長の凛として、それでも優しい声。
「でもね。それを乗り越えて、今度は心から楽しんで書いたら……翼はもっと凄い小説を書くと思うんだ」
 純粋に楽しんで書く。好きだから書く。書きたいから書く。それは鉄の杭の向こうにあるように感じた。今は狭い檻の中にいて、外には色とりどりの世界が待っている。
 胸が弾む感触がした。檻の向こうの景色を見たいと、強く願った。
「翼、なんか今目がキラッキラしてるぞ。可愛いなぁ。それが本当の翼なんだな」
 真守部長がにっこり笑顔を浮かべるので、翼は少し頬を赤らめた。
 ――俺もキラキラ輝くのか。
 翼もにっこり微笑んだ。
「先生のお話は以上です。戻ろう」
「ありがとうございました! 部長!」
「……うん。翼もわかってきたみたいだね」

「メインは慎吾×翼でさ、サブは泰則×翼、で、その涼君×翼、NEWCPが部長×翼ってことで確定ね?」
「はい! 先輩を慕う後輩というのはとても美味しいですよね!」
 部室から会話が漏れ聞こえる。
「……俺は、美味しいんですか?」
「う、うーんとねぇ……」
「というか俺の友人関係がダダ漏れになってるんすけど……」
「そ、そだねぇ……」
「俺、ヤスも涼もそんな目で見てないし、もちろん部長にもそんな感情抱いてませんので、安心してくださいね」
「わかってるよ、って……慎吾君という子は?」
「……これ、中入っていいんすかね?」
「え、そこスルー? どういうこと? まぁ、素知らぬふりで入ろう」
 話題になってる本人が入ってきても、会話は続いた。
「空野、俺が男子と仲良いのが好きなの? 俺本体でなく?」
「風矢君本体が好きだよ!」
「なのに俺が他の男子と恋仲でもいいの?」
「萌えなの!」
「わかんねぇ……」
「わからなくていいよ」
 何かもっと真意がありそうで、翼は言葉を止める。でも、わかんねぇものはわからなかった。困ったので北川と目を合わせてみた。
「頑張って自力で考えて下さい」
 答えは教えてもらえなかった。

「雫……遂に待ちうけが翼実写になった!」
 叫び声が部室に響き、翼はふと意識を雫に向けた。
「ぐふふぅー盗撮じゃないよー」
 翼はぼんやり思い出す。携帯を向けられたので思わずきょとんと携帯を見てしまい、シャッター音がした。
 大して怒ったりもしなかった。消せとも言わなかった。あまりにも悪意を感じなかったせいだろうか、気にならなかった。
「それ取っといていいから待ち受けはやめてくれ。恥ずかしいだろ」
 撮った画像を消してもらうのは取り敢えず諦めていた。
「ウチの母さんも待ち受けが俺達兄弟なんだよなー……」
「出た。翼母伝説」
「お父さんじゃないのか。待ち受け」
「父さんは、パソコンの壁紙だ」
 もう部員達は翼の不思議両親に慣れてきたのか、普通に引くことなく笑い出す。
「仕事のパソコンなのに。誰からも咎められないらしい」
「公認かよ」
 爆笑しながら、それぞれ文化祭の準備。
「翼ー」
 呼びかけられて、声の方に向く。目線の先には王子ルックの泰則が。
「衣装、できたんだけど……変じゃない?」
「変じゃない!似合う!」
「可愛いー!」
 即座に反応を示しだす部員達。
「か、可愛いんですか!?」
 おろおろする泰則。笑う翼。ニヤける雫。雫の基本は翼なのだが、応用として美少年は三度の飯より好きらしい。
 というか既に三度を超える飯、になっている。
 ニヤけた顔のまま泰則へと突進していく雫。一歩前で踏み切ったと思ったら泰則へと飛びついた。そして張り付いた。
「可愛い。ぐふふっぐぎょっ」
「た、助けてー」怯えきった泰則。必死に雫を剥がそうとする部員一同。
「翼、バンドもやるの?」
 そして話を逸らす一同。
「まぁな。選ばれちゃったし」
 一年一組は選抜でバンドもやるという。何故って「バンドってモテそうじゃん」という単純明快な流れである。
 一組は、芸術科目の選択が音楽のクラスなので、音楽ができるメンバーが多い。
 翼は色々できるという理由で選ばれた。と言っている。が、一組の裏では、
「翼がいれば客寄せになる」
 という陰謀があるらしい。
「キーボードでギターでラップなの?」
「うん」
「こっちにばっかいるけど平気なの?」
「余裕」
「か、カッコいい……」
 これは泰則だけではなく周囲にいたみんなが声を揃えて言った。
「でもさ、ギター肩にかけながら最初キーボード弾いてラップでギターっておかしくないか?」
「翼なら、アリです」
「アリなのか」
「翼はラップの歌詞も書いてるんだよー」
 にこにこと話す泰則。翼と対照的にのんびり話す。
「絶対本番見に行くから」
「来るな! 来ないで下さい!」
 笑いながら叫ぶ翼。取り敢えず笑ってしまうらしい。
「翼君、やっぱり一組のミスター?」
 この学校のミス、ミスターはクラスごとに一人ずつ選び、文化祭本番に最終選考で学校一を決める。
「満場一致で翼になったよ」
「やっぱり」
「じゃあ翼は忙しいね」
「実は忙しいっすよ。最近帰りが遅くて弟に悪い」
「お母さん家にいるんじゃないの?」
「いや、パソコンに向かってるか写真の父さんに語りかけてるかで忙しそうというか自分の世界に浸ってるというか……」
「お母さんも忙しいのか。まぁ、仕事してるんだから大変だな」
「そのくせ家事もやってるから、大変だねと母さんに言ったんですよ」
「ほぅ」
「そしたら母さんなんて言ったと思いますか?」
 ニヤリと笑う翼。
「余裕」
「親子でかー! カッコいい」
「ニヤニヤしながら言ってたけどな。一緒にはされたくない」
「で、お母さんなんの仕事やってるの?」
「知らない」
「……翼の家は何で成り立ってるんだ」
「お母さんの家が金持ちとか?」
「ウチの母親は確かに小中高大と私立行ってたような人だからね。でも全然金銭面で親には頼ってないそうだ。俺達が幼い時、おばあちゃんが面倒を見てくれたみたいだけど」
「風矢家は謎が多すぎる」
 また翼は笑う。いつもの他愛のない会話に癒やされた。
 高校の行事に燃えたいという願いが叶っていると気づき、無性に嬉しくなった。休みがちだけど、まだ何とか学校生活を普通に過ごせている。
 大丈夫。何がどう大丈夫かはわからないが、また直感だ。
 いつも心は暗い道を歩いている。出口の見えないトンネルでひたすら走っている。逃げ回っている。それでも、光はある気がした。それも、直感。


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