誰にも届かない -nobody understand -

顔をあげたシャイレ。
バンダナが外されて晒された喉元。

その喉に、大きな傷跡があった。

「……!? その……傷……」

少し涙ぐむリシュに、シャイレはまた俯く。

「今まで……何も話さなかったのって…………」

シャイレが頷く。青い目が、暗く光っていた。
フッとため息をつく。

「……話せなかったから……なんだね……」

またシャイレが頷く。
今度は、何かを嘲笑するかのようにため息をついた。

「……そうだよ……?」

シャイレが驚いたようにリシュを見る。

「……なんで? ……?」

「…………」

「シャイレの、伝えたいことは……わかるよ」

相変わらず、シャイレは唖然としていた。

「伝えたいこと、あるんでしょ……?」

シャイレは少し躊躇う素振りを見せてから、頷いた。
軽く目を閉じて俯く。そしてまたゆっくり顔を上げた。

『十年前に…………刺された。ナイフで……』

かなりぎこちない口調。
シャイレはただ頭の中で話していた。
それでも、リシュに伝えようとしていることは、リシュに伝わっていた。

『君が言っていた、少年のように、家に何人もの兵士が押しかけてきて……

俺を張り倒した。頭とか背中とか強く打って、凄く痛かった。
一瞬意識が飛んだ。

兵士は、俺の両手両足押さえつけた。一人は、俺に馬乗りになった。
手を押さえていた兵士が、髪を引っ張った。顎も掴んで上を向かせた。

俺の視界の端で、鋭いナイフがチラついていた。

何故かそいつは俺に名前を尋ねた。

俺は自分の名前を言った。というか呟いた。

そしたら、そいつはフッと笑って……

……俺にナイフを振り下ろした。

突き立てられたナイフは……貫通しかけてるように思った。

血が……凄い飛び散って……凄い流れ出て……

咳き込んだら……口の端にも血が流れて……

視界がぼやけて…………

最後に見たのは……俺の家族が……俺より血だらけで……動かないところだった。

気がついたら……知らない部屋のベッドの上だった。

俺は……生きていた……。

自分が誰なのだかわからなくなっていた。
名前が……思い出せなかった。

最後に見たものは思い出せたけど……家族の名前……いや……
父さん母さんがいたか、兄弟がいたのか……思い出せなかった。

刺された時の記憶以外……ないも同然だった。

その後、医師らしき人が来て、ここはアースウェスの軍事訓練場だということだけ、
教わった。

声が出なくなっていることも……自分で気づいた。
包帯の下の傷は……その時はまだ痛んでいた……

年もわからなかったけど……誰かが俺のことを話しているのが聞こえて……
その当時は七歳だと知った。

それから……ずっと訓練を受けていた。
他の奴等と、戦闘訓練をずっと受けていた。

話しかけられても、もちろん言葉を返すことなんてできなかった。
でも、声が出ないことを、悟られたくなかった。

大人しい奴等は……みんないじめられていた……
多分……訓練漬けの毎日に嫌気が差していたから。

酷い奴なんて…………もうこの世にいない。

それに……どんなに辛くても、苦しくても、表に出せない。
誰にも伝えられない。

だから……俺は……何も考えないように……したんだ。
頭の中を、空っぽにして……何も感じないようにして……

無口で……無表情で……』

シャイレの声はもちろん聞こえるはずないのだが、シャイレの唇は動いていた。
掠れた息だけが、静かに音を立てていた。

そっと、口を閉じて、また俯くシャイレ。
いつも俯いているのは、背が高いからではなく、無意識に傷を隠そうとしていたからだろう。

言葉を探すかのように、視線を揺らす。
そんなシャイレをリシュは心配そうに見ている。

『ある時、同じ部屋の奴等が、いきなり俺に襲い掛かってきた。
多分……俺の知らないうちに打ち合わせされていたんだろう。

いきなりだったし……自分がこれからされることなんてわからなかったから、
かわせなかった。

俺は押し倒されて……床にねじ伏せられた。
両手両足、押さえつけられた…………

……あの時と……同じように。

奴等は気づいてなかったと思うけど……俺は震えてしまっていた。

――さぁ、どうしてやろうか……?

そう言いながら、馬乗りにされた。
正直……殺されるって思った……

――こんなことされても何も言わないんだぜ?

その言葉を聞いた時、もう傷のことしか頭になかった。
あの時も……布で隠してたから……

――このバンダナ外してみないか?

全身の筋肉が硬直したように思った。
……直感していたのだろうか? そこに俺が隠したいものがあるということ。

馬乗りになっていた奴が、俺の首に手を触れた。
……悪寒が……全身を駆け抜けた。

……………………

気が付いたら……押さえつけていた奴等みんな……振り払ってた。
コートを掴んで、走っていた。

誰かに見つかったのか……止められようとしたのか……

全然わからないまま……走っていた。
気が付いたら……何処だか知らない所に来ていた。

他にどうすることもできなくて……歩き出した。

さっきの兵士は……きっと俺を捜していた。
怪我させてしまって……悪かった。』

相変わらず、かすかな息の音だけ聞こえた。
言葉の最後で、シャイレはまた頭を下げた。

リシュは、涙で潤んできた瞳でシャイレの目をまっすぐ見ていた。
話し終わって俯くシャイレの手を、両手で包んだ。

堪えられなくなって、リシュは泣き出してしまった。
シャイレは、少し驚いて、困った様子を目の奥に潜ませた。
本当は、凄く驚いて、凄く困っているのだろう。

シャイレは……何もできずに、ただリシュの手を握り返した。


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