4.これでも結構、心配はしてる

 恋を綴り、恋を描写し、恋を物語り、このバンドでは恋を奏でていたりもする。その小説や歌がどれほどの人の胸を打っただろう。かなりの実力派作家。そして我らがロックバンド、チョコレートクランチギタリスト。
 ついでに圧倒的な美貌。他の追随を許さない。繊細でいて、強く揺るがない眼差し。垢抜けているのに、主張の抑えた存在感。
 中身だって素晴らしい。落ち着いていて、思慮深い。悩んだ時や困った時も、いつだって助けてくれる。その優しさはいつも安心感を与えてくれる。


 ここまで書くと、本当に完璧な人間に思える。実際嘘はない。彼はとても素敵な人だ。
 ただ、これも本当なのだ。
 彼は大の女性恐怖症である。


 翼は女の子を引き寄せる。翼見たさに女の子は集まり、翼を見て歓声を上げる。まさにアイドルのようなのだ。
 アイドルのように追われ、付きまとわれる。しまいにはファンクラブが出来た。女性恐怖症である翼は、勿論迷惑していた。
 そこで立ち上がるのがチョコレートクランチだ。正確には、ヴォーカルのハル君だ。ハル君は様々な手練手管で翼ファンを翼から遠ざけようとした。

 交際を迫る女の子の前に女装(ハル君の性別は一応不明であるが)して現れ、彼女のふりをした。
 マナーの悪いファンには精神的鉄槌を下した。翼の卓越した文章力を利用した。因みに敵を欺くには味方から、を適応されて僕も巻き込まれた。この話はまた別の機会に。
 そんなことを繰り返し、いつのまにかハル君は翼ファンをまとめあげ、管理していた。公式ファンクラブもできた。本人曰く、
「人の上に立って統制する練習」
 とのこと。練習でここまでやるか。何故練習するのか。というか、翼助けに乗じてやることなのか。突っ込みどころが多いのは、いつものこと。
 そんなこんなで、ハル君は翼ファン達を見事収めた。秩序が保たれて、翼が女の子集団に囲まれることも減った。
 だけども全員を把握できる訳ではないし、もちろん漏れもある。
 そして現在に至る。

 今日はチョコクラの練習日。僕とハル君は時間通り来て、楽器をいじりつつお喋りしていた。
「翼が遅れるなんて珍しいね」
「嫌な予感がしますな」
「え、何それ」
 勢いよくドアが開き、翼が駆け込んできた。後ろから女の子が追ってくる。翼は腕を掴まれる。と同時に、腕を掴んできた手を弾かれたように大きく振り払った。それから掴まれた場所を震える手でさすった。身を強張らせる翼の表情は血の気が引いていて、目は見開かれていて、切れ切れな吐息さえ震えていた。何度か見たことのある翼のこの様子。触れられたというたったこれだけで、ここまで嫌悪感を露わにする。怯える翼に、女の子はとどめを刺した。
「アナタ、本っ当に異性駄目なのね。ホモなの? それじゃあ付き合ってるとか言ってるカノジョも可哀想ね! 本当に付き合ってるのかしら? こんなイケメン連れ歩けたら、自慢になると思ったのに残念だわ」
 早口で言い放って、女の子はあっさり去っていった。さすっていた翼の手は、いつしか爪を立てていた。ぎりりと肌に強く食い込む爪。表情は怯えたそれのまま固まっていた。
「……だ、大丈夫?」
 僕はそっと近付いた。翼はゆっくりこちらを向いたかと思うと、いきなり抱きついてきた。僕も腕を回して翼の背中をさする。きつく抱き締めてくるその腕もやはり震えていた。
 散々追い回した上に、酷い言葉を並べ立てるなんて性質が悪すぎる。でも翼は、こんな目に何度も遭ってきているのだろう。だからこそ女性恐怖症なのだ。
 そしてよく誤解されるのだけど、翼は女性が駄目だからといって、男性に恋愛感情を抱く訳でもない。そして男性に恋愛感情を抱かれるのも恐怖だ。普通に友達として接する分には大丈夫だけど、恋愛感情が絡んだ途端に拒絶反応が出るらしい。なので翼は同性愛者ではない。
 付き合ってる彼女というのは、実際にいる。高校時代からの関係だ。名前は雫ちゃん。翼の恐怖症を理解していて、上手に距離を取っている。翼も何故か彼女にだけは心を開けるようだ。「手なら繋げる!」と嬉しそうに翼が話していたこともある。そんな彼女さんは、またとても変わった方なのだけど、それもまた別の機会に。
「後であの女には天罰がくだるだろう」
 ハル君が低くぽつりと言葉を落とした。多分、後程裏で制裁を加えるんだろうな、と僕は想像した。

 練習はお休みにした。三人で並んで、何を話すでもなく座っていた。翼が落ち着くのを待っていた。翼はハル君に渡されたお茶をちびちびと飲んで、心を落ち着けているようだった。ゆったりとした静寂を僕らは楽しんだ。やがてハル君が珍しく沈んだ調子で話し始めた。
「俺は助けを求めるのも苦手で、その上誰かを励ますのも苦手だ。こういう時こう言えば励ましになるんだろうな、と考えついた時点で浮かんだ言葉が上辺だけに思えて。心からの言葉じゃなくて、用意された台詞を読み上げるだけみたいで。でも心から言いたい言葉は出てこない。探すんだけど、空っぽで見つからない。……俺は何を言っているんでしょうね。弱音を吐きたいのは翼なのに」
「いやいや。ハル君が励ましたい、って思ったことが大事なんだよ。そこまで一生懸命考えるんだから、ハル君はやっぱり優しいよ。それにさっき翼にお茶あげてたじゃん。とても自然に渡してたよ」
「……翼はお茶とかお水飲むと落ち着くと言っていたので」
 両手で掴んだお茶を見つめていた翼が顔を上げる。ハル君に向かって微笑みかける。
「凄く助かったよ。ありがとう」
 ハル君の方は顔をそむける。照れたのを隠している。翼もまたお茶に目線を戻す。それからハル君以上に沈んだ暗い声で話し始めた。
「恋愛ってなんだろうね。俺は雫を愛してる、と思う。でも慎吾のことも愛してる。ゆーちゃんもハルも愛してる。恋愛と友情の違いを俺はわかっていないんじゃないのか? 恋愛感情がわからない。どう想うことが恋なんだろう。俺は雫をちゃんと愛せていないのかもしれない。恋人らしいこともできてない。これじゃあ、雫は可哀想なんじゃないのか……さっきの人が言うみたいに」
 言葉の後半で翼はぐっと項垂れた。もしかしたらずっと悩んでいたことなのかもしれない。翼はなかなか悩みを口にできない。
「あくまでも個人的な意見だけど……恋って、誰か一人を選ぶことじゃないのかな? そしてその選んだ人に、心を尽くすことじゃないのかな。翼は雫ちゃん以外の人を選べる? 翼は自分の心の恋人という位置に、雫ちゃんを選んだんだよ」
 僕は懸命に言葉を探して、拙く語った。ハル君も翼に問いかける。
「例えば雫ちゃんが翼以外の人を恋人にしたいと言ったらどうする? 翼のものじゃなくなったらどうする?」
「絶対嫌だ」
「翼は、雫ちゃんに愛されていたいんでしょ。雫ちゃんの恋人でいたいんでしょ。恋人でありたいんでしょ。それが恋なんだよ。それだけで十分なんだ。恋人らしいとか、絶対必要な訳じゃないんだ。大事なのは、気持ちだろ。可哀想とか、雫ちゃんに失礼だろ」
 そこでハル君は一旦言葉を切り、
「うっわ、俺が恋とか……気持ち悪いことこの上ない」
 と気分悪そうに口元に手を当てた。翼の方はしばらくぽかんとしていた。
「もしかして、俺がこんなこと考えるんじゃないかと心配してたり……?」
「うん」
 僕とハル君は同時に頷いた。用意されていたかのような僕らの素早い返答に、翼は驚いたのだろう。
「俺は心配されていたのか……」
「翼は真面目だからね。後ね、いいことを教えて差し上げよう」
 一呼吸おいて、ハル君は得意げに言った。
「そんだけ悩んでるってことが既に、恋してるということにもなるのでは、ないでしょうか」
 翼は、ははぁーと頭を下げた。

 それから僕らは音を合わせた。恋の歌も奏でた。自分の恋がわからないのに、たくさんの恋を描く翼。
 ――あぁ、翼は恋に憧れているのかな。
 と、思い浮かぶ。翼が描く恋はどれも真摯で、真剣で、真っ直ぐだった。物語に乗せられたのは憧憬。その物語はたくさんの人の胸を打ち、そして物語を紡ぐことは翼の救いにもなっているのだ。
 ――チョコレートクランチやっててよかったなぁ。
 チョコレートクランチは、誰かの支えになることができる。だって、僕らが既に支えらえているから。
 今日の僕のベースは、いつにも増して体の底からその低音を響かせた。


 街を歩く一組のカップル。一人は長身の青年で、一人は小柄な少女。青年が少女に語りかける。
「雫。俺、雫にずっと恋してるよ」
「え、翼君いきなりどうしたの!? うっはぁ! 萌えぇ!!」
 その場で飛び跳ねる少女を、青年は笑顔で見守る。
「いつもありがとう」
「こちらこそ! ありがとう、翼君!」
 それから、そっと二人は手を繋いだ。
 街道が長く先へ続いていくように、この二人も長い先へと歩んでいくように見えた。

 チョコレートクランチの、恋のお話。


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