3.ドッキリ大失敗

「ハルはいっつもそうだ! 自分で自分を追い込んで、救いの手も拒否して一人で追い詰められて……。いつでも『俺、最強』みたいに笑って、時には自虐的に笑って。表面の笑顔で重い鎧装備して、弱味は決して見せない。守ってる、そう守ってるんだ。その鎧で全部振り切ってるんだ。ボロボロで、でもそれを認めたくなくて。ずっとそうしてきたから今更助けの求め方もわからなくて、求めていること自体認めたくないんだ。差し出される手を振り払って振り払って……これからもずっとそれでやっていけると思ってんの? ……本当は誰よりも寂しいくせに」
「翼だって本当はトラウマ拭い去れなくて、未だに関わる人関わる人にびくびく怯えて。自分に自信が持てなくて。全部乗り越えました、全部経験値です、もう悟っちゃいましたーみたいな顔しながら、時々夢に出たりして泣きそうになったりして。自分なんか誰も好きになる訳ない、と過去が邪魔して人の好意をどうしても疑ってしまって……寂しいのは翼の方では?」
 ハルは仰向けに横たわっている。左手が顔の横に垂れていて、それに重なるのは翼の手だ。翼は何故かハルに跨り、ハルの右肩を掴み、憤ったような眼差しでハルと対峙している。ハルも冷たく睨み返している。
 しばし見つめ合う二人。
「素直に助けてって言えばいいのに」
「素直に好意を受け止めればいいのに」
「寂しがり屋」
「甘え下手」
「本当は優しい」
「本当は甘えたがり」
「……」
「……」
 妙な間が開いて、翼は僕に叫んだ。
「ゆーちゃん、早く仲裁してあげなきゃ! 俺達喧嘩してるよ! ほら!」
「はいはい翼さんそこから退きましょうねー」
 僕は仕方なく仲裁の体を取った。翼はすんなりハルから降りる。ハルも何事もなかったかのように起き上がる。
 やめてもらえませんかね。やめてもらえませんかねぇ?
 言ってることは核心を突いているし、実はハル、こういう状況が人一倍苦手なはずなんだ。跨られて、今にも殴られそうとか本当は人一倍苦手なはずなんだ。
 はず、なのに。
 二人は最近謎のコントにハマっている。リアルなのか演技なのか際どいコントを、わざわざ僕の目の前で演じてみせる。
 真偽が曖昧なことをわざわざ演じているこの状況、僕はどうしていいか判断に困っている。
 それに……
「僕の部屋で変なこと始めないでください」
 何ですか。もてなすためにお茶とか用意している隙に、何を始めちゃったんですか。
「構え」
 そこまで率直かつ素直に言えるなら、先程のコントはなんだったんでしょうかねぇ!?
「俺達寂しいから、構え」
 要するに、何だかんだ言っても俺達寂しがり屋だからゆーちゃんに構ってほしいの、ということでいいんでしょうかねぇ!?
「じゃあコントはやめて下さいな。人の部屋で……。何ですか、コンビでも組むんですか」
「青春の喧嘩コントじゃないか。鉄板だろ」
 あはは……何の鉄板だかさっぱりわからないね!
「はいどーもー翼です」
「ハルです」
「いやいや今日も天気がいいですねぇ!」
「おいそこ、漫才も始めるな! 漫才も!」
 困り果てる僕の元に、救いのチャイムが響いた。慎吾くんだ。慎吾君は翼の親友で、時々チョコクラのサポートでドラムを叩いている。そういえば僕達三人はチョコレートクランチというバンドなのだが、ここまでで一ミリも伝わっていないだろう。
「慎吾? 慎吾来たの?」
 翼がそわそわしている。慎吾君は翼の親友で、数少ない心を開いた相手で、後なんか関係を疑われる関係である。先程ハル君がまくしたてたように、かなりの人見知りで人間不信な翼が懐いてるのだから、相当深い関係だ。
「よぅ」
 慎吾君の姿が見えた途端、人形みたいに動きを止めていた翼が勢いよく立ち上がり、突進してきた。慎吾君に飛びつき、力強く抱きついた。
「会いたかったよー慎吾ー会いたかったんだよー」
 普段の翼を知る人が見たら、腰を抜かすだろう。だって翼は甘えてきたりしないから。寂しがり屋だけど、すんなり人の懐に飛び込める性格でもない。
 そんな翼が今は慎吾君にべったりだ。確かに甘え下手だ。甘え方がわからないから取り敢えずくっついている感じがする。時々だけど、僕にくっついてくることもある。例えば翼が大の苦手としている女子に迫られた時。恐怖のあまり翼は僕にへばりつく。甘え下手だし、助けを求めるのも下手なのだ。(因みにハル君も同じである。ハル君の場合は、誰にもくっつかないけれども)
「会いたかったんだーずっと会いたかったんだー」
 普段はボキャブラリー豊富に喋る翼が、アイドルも驚く「会いたかった」連呼をしている。
「そうかそうか。よしよし」
 慎吾君は慎吾君で慣れたように翼の頭を撫でる。僕が今目にしているのは何の光景なのだろう、一体……
「一つの友情です」
「え?」
 いつのまにか僕の横にハル君がいた。というかまた思考を読まれている。
「あれも一つの友情の形と捉えることができよう。俺達の友情も普通とはちょっと違う形だしな……」
 自覚しているのなら、直してほしいのだけど。
「人間そう器用には生きられないのだよ、ゆーちゃん……」
 僕も器用な人間ではないしね。仕方ない、のかな? 言いくるめられてる感じは忘れることにする。
「で、ハル君。あれは大丈夫なの?」
 僕はさっきの暴力風味な場面を思い出していた。
「翼は優しくしてくれるから」
 僕は今何の質問をしたか、一瞬忘れた。貴様は彼女か。
「ハル君、暴力は嫌いなんでしょ?」
「暴力は嫌いです」
「例えばハル君が相手に危害を加えたい時はどうするの?」
 ハル君はにっこりと笑みを浮かべた。
「そりゃあ、暴力なんざ使わずとも徹底的に消してやります」
 いやだこの人、超怖い。腕力に任せてもらった方がいい感じだよ、これ。
「そうだな! 暴力なんかいらないよな! そしたらみんなハッピーだよな!」
 翼をあやす慎吾君が無邪気に言うけど、そんな可愛らしい話では、ない……!
「いだだだ……翼、噛むのは駄目って言ってるでしょ!」
 翼に噛まれたらしい。慎吾君が悲鳴をあげる。
「この腕に抱き留めて、皮膚と肉を噛み締めないと相手を感じられないなんて……! 俺は本当に駄目な奴だなぁ……!」
 翼は嘆きつつもまた慎吾君をかじる。慎吾君の首筋が赤い。
「俺は思うのです」
 隣で優しく見守るハル君がまた口を開く。
「翼って、翼の折れたエンジェルみたいだな、と……」
「確かに翼ってオーラが天使っぽいよね。まっさらで綺麗。そして尚且つぶっ壊れたところ、あるよね」
「あんなに純粋な気持ちで人を噛むのは、じゃれた子犬か、翼くらいだ!」
 ふははは、と高笑いする黒装束ハル君は、どう見ても悪魔だった。思わず尻尾を探す僕だった。


 僕は学校の片隅で授業の本を読んでいた。お供は甘い抹茶ラテ。一息ついて、抹茶ラテをすする。うん、元気が出る。近くでは、女の子グループがきゃいきゃいと談笑している。うん、楽しそうで何より。携帯がメールの着信を告げる。ハル君からだ。添付画像付きで、ファイルを開く。画面いっぱいに赤色が広がり、僕は危うく携帯を落とすところだった。悲鳴も上げるところだった。
 血溜まりの中に、左手が写っていた。その左手は痣だらけ傷だらけで、そこから流れる血液が血溜まりを作っているようだった。
 これ、ハル君の手だ……。
 慌てて本文を見る。
「たすけて」
 その一言だけだ。全身から血の気が引いた。これ、どういうこと!? 僕は動けずにいた。近くに座っていた女の子グループに一人また合流してきたようだ。彼女はテンション高く、話し始める。
「今ね! 他校の男子が殴り合いの喧嘩してたんだよー! 超ヤバかった。あれが乱闘っていうんだよ!」
 僕は閃くものがあった。そこから考える。ハル君は今、何処にいる?
 確信はないけど、僕は立ち上がり、走り始めた。

 僕らのサークルの部室に飛び込む。一見誰もいない。中に入り、辺りを見回す。いた。ハル君いた。物陰で縮こまっていた。少し青ざめた顔で身を震わせているようだった。
「オオカミ少年さん。お迎えに来ましたよ」
 僕の呼びかけに、ハル君が顔を上げる。泣きそうな目が、少し見開かれる。
「あのねぇ、わざわざ怖い画像つけなくてもいいじゃない!」
「あれが嘘っておわかりに?」
「ごめん、ハル君の傷の位置、結構覚えてるんだ」
 あの写真は何年か前のものだ。今もその時の傷がハル君の左手に残っている。僕はその傷跡の場所は何となく覚えていた。ハル君は腕を晒さないから、僕が傷跡の位置を把握してるなんて思わなくて当然かもしれない。なのに何故覚えているかって? それだけ一緒にいたから、かな。
 ハル君のSOSは、実際に暴力を振るわれたことではない。殴り合いの現場を見てしまい、パニックに襲われたSOSだ。ハル君は暴力が本当に苦手だ。普段人に助けを求めないハル君がこうして思わず助けを求めるくらい、苦手だ。
 部室に人が入ってきた。翼だ。僕らを見つけて、手を振る。
「オオカミ少年さん! ご無事でしたか!」
「デジャブ!」
 ハル君が叫んだ。強張っていた体から力が抜けた。放心状態なハル君はいつもの流暢な喋り方でなく、ぽつぽつと言葉を落とした。僕と翼もしゃがんで、ハル君に目線を合わせた。
「さっき、喧嘩に行き会っちゃって。その光景を見たら足が竦んで。すっごく怖くて怖くて……頭が真っ白になって、兎に角ここに駆け込んだ。助けてほしくて、でもどうやって助けを求めたらいいか、わからなかった。昔からそうなんだ。助けを求めたことがないから、どうやって求めていいのかわからない。求めたら、俺が俺じゃなくなるような気がして。何かが壊れる気がして」
 俯いていたハル君が僕らを上目遣いで窺う。
「でも、二人が思い浮かんだら、そんなことどうでもよくなって、あのようなメールを送ってしまった次第です」
「よくできました」
 翼がハル君の肩にそっと手を置いた。
「そうやって素直に言っちゃえばいいだけなんだ。邪魔な鎧なんて、取っ払っちまえ!」
 俺も助けを求めるのとか苦手だしね、と付け足し、翼は微笑んだ。
「面倒な奴同士、寄り添っていようぜ。別にそれは弱さでも甘えでもない」
「一つの友情、ですね」
 ハル君も微笑んだ。それから不意にまた目を伏せる。
「あの、俺も慎吾君と翼みたいにしてもらっても、いいですか」
 ぎこちなく、消えそうな声で囁くハル君。
「嫌じゃなければ、おいでくださいな」
 僕は腕を広げる。ハル君は躊躇いながらも、僕の胸にすっぽり収まった。僕は壊れ物に触れるように、そっと腕を回した。
「最近ゆーちゃんが騙されてくれない」
 ハル君が腕の中で呟く。
「ごめん、さすがにわかるから」
「これではドッキリ大失敗」
「じゃあもうコントとかやめようね!」
「いやいやあれは趣味だから!」
 このド悪魔が! と表向き怒ってみつつ。

 今腕の中にいるこの繊細な子も、天使に見えた。なんて、絶対言ってあげない。


Copyright(c) 2011 Kyo Fujioka all rights reserved.