2.野郎だけで行く夏祭りほど物悲しいものはない

「夏祭りに行きます!」

 突然の宣言。声の主は夏に似つかわしくない長袖黒装束のハル君だ。これでも段々軽装備にはなっている。
「え、チョコクラでってこと?」
 どうやら翼も知らないらしく、今回はハル君一人の提案らしい。
「どの夏祭り?」
 尋ねるとハル君は近くのポスターを指差した。学校からちょっと電車に乗れば行ける場所だった。
「祭りです祭りとは楽しいものです。チョコクラが参加すべきイベントです」
 畳み掛けるように演説を始める。
「さぁ、俺を夏祭りに連れてって!」
 両手を僕達に向けて大きく広げる。左手にはいつもの指出しグローブ。冬は両手に手袋、夏は左手に手袋。ハル君なりの避暑。
「夏祭りは地元のやつに雫と行くしなぁ」
「僕ものんちゃんと行くしなぁ」
 翼は彼女の名を上げ、僕も上げた。のんちゃん、浴衣着てくるらしい。楽しみすぎる。
「のんちゃん浴衣か……」
「読まれている!? ちょっと頬を緩めただけでそこまで読まれる!?」
「ちょっと緩めた、ではない。かなり惚けた表情だった」
 読心術でも心得ていそうな悪魔……じゃなくてハル君はふと一瞬思案した。
「夏祭り、一緒に行ってくれるなら、俺、ゆ、浴衣着てきてもいい……よ、男女どちらの装いがいいですか? いいよ、可愛い浴衣着てやっても、いいよ、いい」
「無理すんな……!」
「ごめん、行くから……! 行くから無理しないで!」
 ハル君と呼んではいるけど、性別はどっちでもいいのだそうだ。ほんのり男の子扱いして欲しそうだから、しているだけで。ハル君は双子兄妹の片割れで、自由に動けないもう片方、通称相方の分も生きているらしい。二人分生きている。性別も二人分。
 次に、浴衣だ。ハル君は夏でも長袖で、肌を露出することを極端に嫌っている。でも暑さに勝てずダウンすることもある。周囲は上着を脱がそうとする。
「お前……暑いなら脱げよ」
 当然の処置。しかしハル君は乱れる息で唸る。
「いくら払ってくれるんですか」
 そして防御するように腕を組み、ぷいと体ごと逸らす。
「俺は安売りしないんです……」
 僕も翼も一応理由を知っている。相方さんとも関係するそれなりに深い理由。追々察して欲しい。
 そんなハル君が浴衣を着ると言った。つまり僕達は、ハル君の装備を軽くしてしまうことに焦ったのだ。
 そしてもう一つ慮ったのは、ハル君のプライドだ。普段強気なハル君がここまで必死にお願いしてきている。かなり珍しい。暑さにやられたか、とすら思った。でも普段通り目つき悪く睨みながらも、瞳の奥は真剣だった。
「行こう! チョコクラ夏祭り!」
 こうして僕達は夏祭りへと突撃した。

 お祭り会場は、人、人、人。人混みだ。カップルは多いし、女の子同士で来ているグループも多い。僕の役目は保護者である。
「リアジュウ爆発しろー!」
「リアジューって何?」
 まずは僕の左腕をホールドしながら悪態をつくハル君を宥める。
「貴様みたいな忌々しい人種のことだ」
 モンスターの類だろうか? 僕は最近ハマっているゲームを思い浮かべる。
「……人混み怖い人混み怖い女の子こっち見てる怖いこっち見ないで怖い……」
「はいはい大丈夫大丈夫」
 次に僕の右腕を絞めるようにホールドしながら喚く翼を宥める。
 翼はその外見なのに、いや、その外見故に大の女性恐怖症である。精悍で普段穏やかなその美貌は今、怯えきっている。
 それにしても暑苦しい。両側で密着されて身動きがあまり取れない。身長差があり女の子でも通用するハル君はともかく、アイドルみたいなイケメンがへばりついてる状況ってどうなのだろう。
 悲しい。男三人(一応)で何をやっているのだろうと冷静になる自分もいる。何故男同士いちゃいちゃしているのだろう……。のんちゃんに会いたい。
「焼きそば食べよー」
 密度が高いまま焼きそばを買いに行く。ハル君は少食で、一人で全部食べるとそれだけでお腹いっぱいになってしまう。だから買っては三人で分け、あらゆるものを食べよう! という戦略である。
 ……まさかそのために僕達は招集されたのか?
 というかそもそも何故ハル君までくっついてくるのだろう。翼は怯えてるからだけど。焼きそばを持たせたら、ハル君はようやく僕から離れた。あぁ、暑かった。
 他にもから揚げとかかき氷とかを買って、お祭り用に用意されている椅子に座った。テーブル付き。
「何だかんだ僕、お祭り好きだな」
「俺も。人がいなければもっと好きだな」
 お祭りなんだから人がたくさんいて当然だろうと思ったけど、そのジレンマには突っ込まない。
「ハル君もお祭り好きなの?」
 尋ねてみたけど、ハル君は一生懸命から揚げを頬張っていた。片頬が膨れている。
 僕らはもぐもぐもぐもぐと一心不乱に食べ続けた。ハル君が暑そうにしてたから、かき氷を与えた。
 しばらくしゃくしゃくと静かにかき氷を突いていたハル君は突然立ち上がる。
「そろそろ時間だ。行きますよっと」

 ハル君が真っ直ぐ凛と進む後を僕達は続く。さっきまでの無気力さが嘘のように、ハル君は輝き始めていた。
 やがて僕達が辿り着いたのは、特設ステージだった。簡易的な舞台があり、折り畳み式の椅子が客席として並んでいた。
 周囲にイベント告知のポスターが貼られていて、僕と翼はようやくハル君の意図を理解した。
 今日この夏祭りで、ハル君が敬愛するバンドがライブをするのだ。
 ライブまではまだ時間があり、僕達は最前列を独占した。ハル君はここで初めてイベントの説明をした。フリーライブだという。ハル君はボーカルグループが好きで、今回はアカペラバンドだという。僕らの影響でロックも聴くようになったみたいだけど、ハル君のルーツはやっぱりボーカルなのだ。
 ハル君は好きなものに対しては饒舌さが倍増する。だから待ち時間を持て余すこともなく、テンションを上げることができた。
 いつしか会場は満席だった。イベントのナレーションが入り、メンバーが入ってくる。六人組だ。夏祭りライブということで、浴衣を着ている。ハル君は今まで見たこともない笑顔で彼らを迎えた。
 声が順々に流れ始め、一つの和音を作る。楽器を持たず全員ボーカルで、ベースとボイスパーカッションの担当がいる。そのリズム隊の上に、三人のハーモニーが乗って、リードボーカルがメインを歌い始める。
 歌声の響きって、こんなにも心を揺さぶるのか。
 僕はまずそう思った。ロックをライブで聴いた時の焼けつくような高揚感とはまた違った、魂が共鳴するような心地よさを感じた。
 ハル君はテンポのいい曲ではリズムに体全体で乗り、じっくり聴かせる曲では薄っすら涙を浮かべていた。こんなにも心からライブを満喫している人を、僕は初めて見たかもしれない。

 MCも和やかでメンバーの人となりの良さが窺えた。僕もすっかりファンになりそうだ。そうなればハル君は大量にCDを貸してくれるだろう。その強力すぎるバックアップできっと僕はファンになる。というかこのライブ自体ハル君に仕組まれているような気がしてくるのは、日頃の行いというものだろう。
 ライブも終わりに差し掛かった。メンバーがそれぞれコメントをしていく。
「今日は皆さんありがとうございました!」
「僕達の声はいつも皆さんと共にあります!」
「あなたが必要になった時、僕達はいつでもあなたの傍にいます!」
 その言葉を聞いた時、僕の中で何かが閃いた。急速に何かを理解する前触れが訪れた。
 そしてアンコール。
 先程の言葉は、そのまま音楽になっていた。歌詞が、旋律が、ハーモニー全てが僕達に寄り添っていた。
 感覚が理解した。
 この音楽がハル君を歩ませていた。いつも励まして、いつも寄り添っていた。この声がハル君の声になり、その姿がハル君の生き様になっていた。

 言葉にすればこれだけになるけど、感覚はそれ以上のことを理解した。
 彼らの音楽がハル君の人生だなんて、言い過ぎではない。

 ハル君はしばし余韻に浸るように身動きしなかった。それからこちらをどやぁという顔で見てきた。
「CD、買うよね?」
 ライブの後は、握手会だった。CDを買えばサインももらえるらしい。
「う、うん」
「他のアルバムは貸してさしあげよう」
 何処からかハル君は電卓を取り出し、小気味いいリズムでたたたたと叩く。何の計算だ! 指速いな! 適当ではなく順に、1+2+3と足し算していたよ!
「俺、経理も行ける……!」
 ご満悦だよ! というか、やっぱりここまで計算してたの?
「布教はファンの大事なお仕事!」
 24+25+26……たたたた。電卓で遊びながらも、僕らにCDを買わせた。いや、買うつもりになってたからいいのだけども。ハル君も二枚買う。

「ハル、持ってないの?」
「保存用と観賞用、マニアの常識!」
「あぁ、俺も同じ小説を違う表紙で何冊か持ってるわ」
 翼は文学少年である。さすが本の虫。列に並ぶ。メンバーは一列に並んで机についていた。僕らの番が来る。まずはハル君。
「友達連れてきたよ!」
 話しかけ方が友達のノリだ……!
「おぉ、ハル君!」
 覚えられている……!
 そしてメンバーは手慣れた様子でサインを書き、両手でがっちりと握手した。
「ありがとう!」
 ハル君が流れを作ってくれたので、僕らはそれに乗った。そんな、握手会とか初めてだから何喋っていいかわからないよ!
「あの、とっても、良かったです!」
 しどろもどろに感想を述べた。こんなもんじゃないのに、もっと感動したのに、声に出せたのはそれだけだった。いっぱいいっぱいだ。
 そんな横で、ハル君が話しているのを聞いた。
「今度は相方も連れてきます」
「うん、待ってるね!」
 保存用と観賞用で二枚なのではなかった。多分ハル君は既に一枚持っている。買った二枚は、自分の分と相方さんの分だ。
 一人でも躊躇なく色んな場所へ行けるハル君だけど。
 今日わざわざハル君に誘われた理由を一つ、僕はまた思いついたんだ。

 僕らは今日、相方さんの代理になれていたかな?


「僕らの声がいつだってあなたの傍にあればいいと思うのです」
 ある時、サークルのブログにハル君が書いた一言だ。
 僕らの音楽を聴いてくれる人達に向けたのだろう。
 そして、相方さんに向けた言葉なのだろう。

 これはハル君だけでなく、チョコレートクランチの想いでもある。
 僕はこのライブでそれを強く感じていた。


 帰路につく。また僕は両手に花というか、両腕に憑き物状態だ。だから何故ハル君まで腕にしがみついてくるんだ。君、誰かに触られたり甘えたりするの嫌いじゃないか!
 型抜き屋が前方に見えて、両腕の憑き物達が僕を引きずっていく。
「ゆーちゃんやって」
 僕にやらせたいのかい。自分でやればいいじゃない。何故僕に。
「お、兄ちゃん達、彼女いないの?」
 店のおっちゃんにからかわれる。いや、彼女はいるんです!
「野郎同士そんなにくっついて楽しいかい?」
 おっちゃんはへらへら笑う。くそぅ……。
「一番賞金高いのください」
 やってやろうじゃないか。
 僕は作業に入る。二人も簡単なやつで遊んでいるらしい。すぐに終わり、僕の作業を観察し始めた。そんなことで集中力が切れる僕では、ない!
 黙々と作業を続ける。二人の表情が輝き、おっちゃんが焦り始めるのを感じた。
「できました」
 おっちゃんが必死に作品の粗を探す。そして震えだす。これに賞金を出してしまったら、今日の売り上げは軽く吹っ飛ぶだろう。
 僕は優しい笑顔を浮かべる。
「賞金はいりませんよ。ただ、こう言ってくださればいいのです」
 僕はハル君ばりの満面の笑顔を浮かべる。
「参りました、と……」
 おっちゃんの顔は真っ青だ。燃え尽きた灰のようになっている。
「……参りました……」
 これ以上仕返ししてしまったら、おっちゃんの寿命が縮んでしまう。
 僕は爽やかにその場を後にする。二人もそそくさとついてくる。
 ふっ。僕の名誉は挫かれない。
「さすが手先器用男!」
 ハル君が拍手する。褒められた気のしない言葉だが、今の僕には賛辞さ!
「しかし……賞金獲得は失敗だな。まさか一番難しいやつに挑むとは思わなかった。さすがの俺もあのおっちゃんに酷過ぎる仕打ちはできなかった」

 やっぱりか……。僕を使って小遣い稼ぎを目論んでいたのか……。
「これならのんちゃんの前でもカッコいいとこ見せられるね、よかったよかった」
 翼が僕の肩をぽんぽん叩く。もしかして予行練習もさせられていたのか……。
「ゆーちゃんカッコいい!」
「さすが俺らのゆーちゃんだ!」
 また僕の両腕が憑りつかれた。あぁ暑苦しい、あぁ虚しい、あぁ物悲しい……。

 でも、楽しいな。
 なんて思った、僕らの夏祭り。


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