6.騒がしいお見舞い

 今日は春依君がお休み。だから、バンドの集まりもお休み。全員で三人しかいないから、一人だけ欠けてもお休みにする。
 僕らは出会って、数ヶ月になった。ついこの前のようで、既に懐かしくもある。何となく仲良くなってきた頃だ。
 僕はお休みじゃない方の翼と、お散歩。二人の共通の趣味、お散歩、だ。
 春依君がいないから、今日は翼にずっと気になっていたことを話してみた。
「春依君って、本当にはるい、っていうのかな?」
「ハルアでもいいし、シャングリラでも何でもいいらしいよね」
 どちらも、本人曰く名前のつもりらしい。いつだって名前を尋ねると、「何でもいい」と答える。
「二人分、だから?」
 そして、理由を問うとそう答えるのだ。
「春依がそう言うから、そうなんだろう」
 翼は不思議がる様子もなく首を傾ける。何かいつも落ち着いている彼は、何でも見透かしてわかっていそうに見える。
「翼、何か知ってる?」
 わかってそうだから、翼に尋ねてみる。
「全くわかんない」
 あ、わかんないのかい。
「何でだろうねぇ?」
「二人分だからじゃないのか?」
「二人分って何だろう?」
「一人より、一人多いんじゃないかな」
 本当にわかんないのかい。安心したけど、もやもやとする。

 そう話しながら歩いていると、前方に黒い姿が見えた。華奢で小柄な姿、それはどうみても春依君だ。
 一人で何処かへ歩いているようだ。
 僕達のお散歩に行き先はない。ついでに、目的もなければ、やることもなくて暇だ。
 僕と翼は、言葉も目線も交わすことなく。春依君の後をつけて行った。

 春依君は大学最寄の駅から、電車に乗った。僕達も電車に乗る。好奇心と暇がそうさせた。
 すぐさま追跡に気付かれると思ったけど、予想外に気付いた様子はなかった。
 春依君は、音楽を聴きながら、携帯を操作している。眼鏡越しの目線を、携帯画面にじっと当てている。
 僕達は、息を潜めて、視界の端だけで春依君を見ている。
 しばらく電車に揺られて、乗り換えもして、春依君は改札を出た。

 駅を出て道を歩く春依君の後をつけても、気付かれる様子はなかった。
 もうおかしいな、とは薄々僕だって気付いてた。いつもの春依君はとっても鋭いんだ。こんな追跡、すぐにバレてしまう前提でやってるはずだったんだ。翼だって、口に出さずとも同じことを考えているはず。
 僕達は、訝しげに目線を交し合う。でも、わざわざ追跡を明かす気にもなれない。
 春依君は、白くて大きな建物の前にやってきた。病院だ。入院施設もついている、大きな。
 駐車場を横切って、二重になった自動ドアの手前で春依君は突然立ち止まる。
 そして、遂に振り返ったんだ。振り返って、僕達の方を真っ直ぐ見た。ほら、きっと最初から気付いてた。
 激しい怒声まで覚悟して、僕は身構える。僕には、次に春依君がどう出るか想像できない。
 春依君は、静かに呟いた。

「来たいなら、来ればいい。知りたいんだろ?」

 小さな声は、僕の中にじんと響いた。心の底にずっとあったことを完璧に言い当てられた。図星ってことだ。
 動揺して、返す言葉に悩んだ。混乱して、何も言葉が思い浮かばなかった。
 ちょっと翼に期待する思考が出てきた時、翼も静かに口を開いた。

「知りたい、かな。また倒れられても困るし。苦しそうなの、見ててわかるし辛い。今がその、知る時みたいだし」

 僕の言いたかったことを、翼が言ってくれた。
 何故だかいくつも名乗るし。性別だって一応同性だとは思ってるけど、違う可能性もゼロじゃなくて。それだけでも、十分気になるのに。
 春依君は、出会った時からいつも不健康そうに揺らめいて。一緒にいる時はいつも楽しそうだけど、時々とっても辛そうで。僕らと友達でいる資格がないと言ったことさえある。
 知ることで、少しでも何か僕にできるなら。知ることもまた、友情を深められる一因だと言えるなら。
 僕だって、春依君のことが知りたかった。
 春依君は、黙って僕らが近付くのを待っていた。僕らは、春依君の元へと近寄った。
 直感が鋭い翼の言う通り。きっと今日が、知る時なんだ。

 病院の中って、こんなに広いんだ。インフルエンザの予防接種の時とかに、地元の小さな病院に行くだけの僕には未知の世界。
 翼の方は僕みたいに物珍しげに辺りを見回すことなく、春依君と話していた。
「どなたのお見舞い?」
「凄く会いたいけど、絶対近付きたくない人。行けばわかる」
 僕にはそんな複雑そうな関係性が思い浮かばなかった。やっぱり僕は頭が悪いのだろうか。それともやっぱり春依君が意味深すぎていて、翼が何でも察しすぎるのだろうか。
 迷子になりそうな病院内を歩き回って、僕達はようやく一つの個室に辿り着いた。名前のプレートを見て、僕は春依君のお見舞い相手を理解した。

 個室はやはりベッドが大部分を占拠していた。部屋の内装は思ったより白くなかった。ベッド周り自体は、綺麗に整頓されていて、物は少ないように思えた。(普通どれくらい物が置いてあるのかはわからないけれど)
 ベッドには、優しそうな女の人がいた。長い髪をゆるく束ねている。身を起こし、突然現れた知らない見舞い客に目を丸くしていた。その人は、穏やかな口調で春依君に語りかけた。
「春依、お友達連れてきたの?」
「うん」
 春依君は素っ気なく返した。お見舞いで会話するには、遠い距離に春依君がいるように思う。ほとんど入り口を入っただけの場所だ。
「男の子のお友達なのね」
「まぁ、そうだね」
 春依君の声は暗いようにも、怯えているようにも聞こえた。先程の春依君の言葉が脳裏を過ぎる。
 『凄く会いたいけど、絶対近付きたくない人』
「ハルアもお友達なの?」
「さぁ」
「春依に男の子の友達がいるなんて、知らなかった」
 女の人はそっと微笑む。春依君は最初と変わらず、身を硬直させて緊張しているように見えた。
「ハルアはいつお見舞いに来てくれるのかしら」
「知らね」
「もう春依からも言ってるかもしれないけれど、また言っておいて」
「うん」
「ハルアはすぐ風邪引くから心配ね」
「ん」
 春依君が言葉を詰まらせていく。こんな春依君、見たことがなかった。沈んだように押し黙っているか、楽しそうに話すかの二パターンが春依君にはある。多分本当は喋るのが好きなのだとは思う。いつだって流暢に早口で、勢い良く喋っているんだ。
「春依も、風邪引いたりしないようにね」
「わかった。じゃあもう、友達も待たせてるから行くね」
 素早く会話を終わらせる。僕達の方に振り返りながら、最後にぼそりと呟いた。
「また来るから……母さん」
 わかっていたけど、改めて事実を口にされて僕の心はぎゅっと縮こまる。そして、張りつめた個室を後にした。

 僕達三人は、また迷路のような病院を歩く。僕はさっきみたいに目線をあちこちに動かさず、今度は深く考え込んでいた。
 母さん。春依のお母さん。入院していたんだ。儚そうで、確かに体の弱そうな女の人。でも、それだけが入院の理由ではなさそう。あちこち見回していた僕は、奥まった場所にある個室の並びからそれを察した。
 緊張していて怯えているようにすら見える、春依君。声を少し震わせていた春依君。
 ハルア、春依、母さん。『凄く会いたいけど、絶対近付きたくない人』。
 僕は自分の母親を思い浮かべる。一人暮らしのアパートから毎日お母さんにかける電話。明るくてハキハキしていて、優しい声。高校生の時は、いつも美味しいお弁当を作ってくれた。僕のことをいつも心配して応援してくれるお母さん。
 考え込んでいたら、翼と春依が話し始めていた。
「ハルア、って本名? 呼び名を言ってたのかな?」
「本当はハルアキ。遥かに亮。遥亮」
「春依に、遥亮?」
「……そうだよ兄妹だよ。二卵性」
 翼は相変わらず穏やかで優しそうに問いかける。きちんと空気を察した言葉。いつも通り言葉は鋭いけど、怒ってはいない春依君。
 春依君は少しずつ独白を始めたんだ。
 しばらく歩いて、僕達はまた別の個室の前に来た。名前のプレートを一瞥した僕は、言葉も思考も消え去った。頭が真っ白で、おかしくなりそうに思えた。予想はしてた。でも、実際現実をつきつけられると衝撃を受ける。
 今度の個室は、一つ目とは全然違っていた。「集中治療室」という言葉から連想される、光景そのものに見えた。
 ベッドにいるのは、あらゆる機械に繋がれた人だった。年は僕達と変わらないはず。そして何より、
「似てる!!」
 思わず大声を出した僕の頭を、翼と春依君が同時にはたいた。溜め息をつかれた。本当にすいません……。土下座したい……。
 そうだ。春依君にそっくりな子がいたんだ。そっくりなだけに、見た目からでは性別がわかりにくかった。髪形もお揃いだ。
「……この子が二人分の一人?」
 翼が静かに尋ねた。
「……そう」
 春依君はそっとベッドの右側に近付いて、側にあった椅子に座る。そして話し始めた。
「びっくりしたかもしれないけど、これでも機械は減ってるんだ。最近、やっと目を覚ましてくれたから。でもそれだけだ。動かないし喋らないしもちろん、笑わないし泣かない」
 僕はそっとその人を見つめる。閉じた目。細身の顔。春依君の寝顔に似ているような気もする。静かで微かに上下する胸。この子は生きている。
「こうなった理由だけど……落ち着いて聞いてくれる?」
 突然の問いかけに僕は意識を春依君に戻し、恐る恐る頷いた。
「俺達をこんな風にしたのは、大好きで凄く感謝していた……、でも何度殴り飛ばしても足りないくらい憎い人」
 女の子の声みたいな春依君の声だけが、この個室を振るわせる。
「俺達には、年の離れた兄貴がいたんだ。優しくて、頭脳明晰だった。でも、病気になった。手遅れで、余命を宣告された。それから兄貴は別人のように変わってしまって……」
 春依君は、横たわる人の左手を取った。その左手には、小さいけどはっきりした傷跡があった。
「暴力的になった兄貴は、結論俺達をこんな風にした。それから兄貴は死んだ。母さんはその時から入院している。詳しくはここでは話せない、こいつがいるから」
 春依君らしく短くきっちりまとめた、あまりにも悲しい話。僕はどうしていいかわからず、悲しい過去を持つ兄妹をちらり見つめた。
「俺の所為だ。俺を守ろうとなんかするから、こいつはこうなった。壊れてしまった」
 段々と痛々しさを帯びてくる春依君の声に、胸が押し潰された。

「……本当は、俺がこうなるべきだったのに」
 これが、春依君がずっと持っていた想いだ。

「俺だけ、高校出て大学入って、友達もできて……。俺だけこんな幸せな人生歩んで。こいつは高校も行けなくなったし、今だって……」
 僕は、春依君が時折とても辛そうな表情をする理由を、一つ理解した。深い負い目を感じているんだ。
「だから、今幸せな人生を歩んでいるのをこいつってことにしたかった。でも、もちろん無理なんだ。こいつと代わってやることなんてできない……できないんだ……」
「それで、二人分なんだね。この子の分も生きようとしている。でも、春依は二人分というより、自分を捨てようとしてるみたいだ」
 自分を捨てようとしているみたい。翼が呟いた言葉。その言葉が春依君の全てを現していると思った。春依君の言動は、全てそこから来ている。
 翼の方を見たら、目が少し潤んでいた。そこで、僕の目にも涙が浮かんでいることに気付いた。
「あの、あのさぁ……変なこと言ったらごめんね。春依、じゃ一人分でしょ? これからはハル君って呼んでいい?」
 言ってから、恐る恐る翼と春依君を見た。二人は目を丸くしていたけれど、微笑んでくれた。翼は優しく、春依君はにやりと。
「これからはさ、この子に負い目を感じるんじゃなくて、この子の分まで幸せになりなよ。それにこの子が目を覚ましたら、春依は精一杯支えるし、幸せにするでしょ? 俺も、ハルって呼ぶよ。二人分、だからね。だから、自分を捨てようとなんてしないで」
 翼は、春依君の目を見つめて言った。
「ほら! 僕達せっかくお友達になれたんだから。大学時代、一緒に楽しく過ごそうよ。あの子の分まで」
 僕も勢いよく言った。
 春依君は複雑そうな表情をした。それから、手を握っているその子と僕らを、見交わした。
「正直、んなことわかってる。でも……でも、難しいんだよ」
 春依君は俯いて、握っている手を見つめて、そう呟いた。
「俺達、出来る限り春依の力になるよ?」
 翼が言った。僕も同じことを思っていた。
「そう言うだろうこともわかってた。でも、俺達兄妹……双子はお互い何も言わなくても、通じ合ってる感じがあったんだ。だから、必要があれば言わずとも何となく支えあえたんだ。そして、二人とも他に頼ることをしなかった。……俺は、頼り方なんて、支えられ方なんて、わからない」
 春依君が人を頼れなくて、何でも一人で頑張る姿は何度も見てきた。そういうことだったんだ。
「大丈夫。春依が何も言わなくても、辛そうな時は黙って助けるから。できることは少ないかもしれないけど。一緒に楽しく過ごすことくらいなら、できるはずだ」 
「翼の言う通りだよ!」 
 僕はまたちょっと大きな声を出してしまい、両手で口を押さえた。隣にいた翼にはたかれる。

 その時だ。ベッドに縛り付けられたその子が、うっすら目を開いた。
「あ、騒がしかったかな。ごめん」
 春依君が慌てて、その子の開いた目を見つめた。開いた目に、生気も表情もなかった。本当に目を覚ましただけなんだ。目を開けた顔は、本当に春依君に似ていた。生気のない感じは、貧血を起こしたり、辛そうな時の春依君に似ていた。
 切れ長の目が、お揃いだ。
「こいつらは、前から話してた大学の友達。結構面白いよ」
 春依君は、その子に語りかけた。前から、話してくれてたんだ、僕達のこと。
 それから、春依君は目線を僕達に移した。
「お前らがそこまで言うなら、頼ろうとしてやってもいい」
「ちょっとずつでいいんだよ。少しでも春依が楽になっていけば、いいんだ」
 また春依君は、目線を天井から外さないその子に目を合わせた。
「俺、それでいいんだよな?」
 問いかけた言葉に、もちろんその子は反応しない。でも、二人の間には何かが成立したようだ。

「仕方ないなぁ。生きようとしてやるよ……すぐには、無理だけど」

 いつもみたいに、鋭い言葉。僕達二人に向けて、いつものようにはっきりと言い放った。
 僕と翼は、目線を合わせて、にっこり微笑んだ。
 僕は、さっきから気になっていたことを言ってみた。
「左手の傷も、場所とかお揃いだね。二人とも、お互いを守ろうとしてたのかな?」
 僕の言葉に、春依君は一瞬驚いて、それからにやりと笑みを浮かべた。春依君はいつも左手に黒い手袋をしている。傷を隠しているみたいだけど、僕は知っていた。
「そうだな。こんなとこまでお揃いだったな」
 春依君は、左手の手袋を少しずらした。やはり、二人とも同じ場所に似たような傷があった。

「じゃ、その子も目を覚ましたみたいだし、春依のお見舞いを邪魔しちゃ駄目だよな。何か騒がしくしちゃったし」
「うん。僕達はここを出よう。うるさくてごめんなさい」
 僕達は、兄妹二人を見ながら言った。
「今度来ることがあれば、お見舞いの品でも持ってくるよ」
「じゃあ、また学校でね!」
 春依君は、僕達に手を振った。女の子みたいに、大きくぶんぶんと。僕達も、振り返した。
 個室を出る時、僕らは振り返って春依君に呼びかけた。

「またつるもうな、ハル!」
「いっぱい遊ぼうね、ハル君!」

 僕達の、ちょっと騒がしくて清々しくなれたお見舞いのお話。


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