5.抜け駆け、ダメ、絶対!

 チョコレートクランチ。スリーピースバンド。通称「チョコクラ」。ヴォーカル、ハル君。ギター、翼。ベースが僕、川越祐斗。通称ゆーちゃん。(ゆーちゃんと呼ばれていることを自分から明かすのは、恥ずかしいのである)大学の軽音楽サークルにて結成。
 活動内容は、バンドだけに留まらず、「楽しいこと」となっている。「楽しいこと」の定義は、翼とハル君が楽しいかどうかである。僕の意思が入っていないのは、「楽しいこと」の中に「ゆーちゃんを可愛がる」名目で僕をひたすらからかうという、僕には楽しくないことが含まれているからである。
 結成のきっかけは、ベースが弾けると言った僕を翼が誘ったことである。最初は翼がヴォーカルを兼ねていた。翼本人は「目立つのやだ!」とぐずっていた。
 そんな中ハル君に出会い、ヴォーカルに誘った。再三の勧誘でハル君も無事加入。
 チョコレートクランチは結成されたのだ!

 何だか、今までを振り返りたい気分なのだよ。今僕は、木陰のベンチで涼しい風を楽しんでいる。木の枝に何か紙のようなものが不自然にぶら下がっているけど、よく見えない。ペットの緑茶が美味しい。最近、緑茶も種類がたくさんあって選ぶのが楽しいね。翼に至っては、パッケージをコレクションし始めた。といっても、パッケージを撮影し、SDに溜めて行くというデジタルなコレクションである。翼は写真に撮られるのが嫌いだ。そこから生まれた発想が、「自分が撮る側に回る」ことであった。現在では、写真が趣味にすらなっているようだ。
 あぁ、平和だ。ここは大学の一角。視界の左端に、文庫本が落ちている。とても目につくように落ちているが、今のところ誰も通らないので文庫本はその身をお日さまに晒したままだ。
 そこに、翼がやってきた。今日もカッコいい。黒い半袖の上着に、白いTシャツ。ジーパンにショートブーツ。シルバーのネックレスと、右手首に黒いレザーバンドをしている。お洒落に見えるけど、それは翼のセンスというより、翼自体が整った顔立ちと体つきをしているからだろう。彼の穏やかな目線は、文庫本を捉えた途端にがらりと変わる。
「本が落ちている!」
 小さく叫んだと同時に、翼は文庫本に向かって突進した。文庫本を拾い上げた瞬間、翼に白い網が放たれ、かけられた。視線を網が放たれた方へ向けると、ランチャーを構えたハル君がいた。眼鏡と鋭い目を光らせて、真っ黒な会心の笑みを浮かべている。
「翼、捕獲成功!」
 翼の方は、二重でぱっちりした目を丸くしてハル君を見ている。そりゃあ、驚くよねぇ。僕もビックリしたよ……。簡単に罠にかかる翼と、何故か網で友人を捕獲するハル君に。
「…………」
 あぁ、翼が俯いている。とっても温厚な翼だけど、さすがに怒るか。怒った翼が全く想像できないけれど。
「…………」
 って……網そっちのけで、翼は拾った本を読み始めた! しゃがんで、網にかかったまま。翼は時々説明に困る行動を取る。不思議ちゃんなのだ。

「かかったな!」
「かかったね」
 全く悪びれずに寄ってきたハル君すらそっちのけで、翼は本を読んでいる。そう、翼は無類の本好きだ。自分で創作するのも好きで、腕前もかなりのものだ。
 ハル君は何か諦めたのか、翼から網を剥がし始めた。小柄なハル君は、しゃがむと本当にコンパクトだ。全身を黒で統一しているため、黒い塊にも見える。気が強くて悪魔じみた性格をしているけれど、実は優しいところもある。本人はしきりに優しい面を隠そうとしている。とにかく素直じゃない。えーと、こういうのを何て言うんだっけ。確か、カタカナ四文字で……。

 そういえば、ハル君と出会ったのもここだった。大学に入ってすぐのことだった。翼が突然声をかけたのだ。それまで人を全く寄せ付けなかったハル君が、初対面の翼に何故か心を開いた。僕もその場にいたのだけど、人が心を開く瞬間を初めて見た。
 いきなり目の前に現れた翼が天使に見え、難しい性格の自分を受け入れてくれると思ったから。という説があるが、定かではない。何故なら本人が話さないから。ほら、ハル君は素直じゃないから。この頃は春依と呼んでいた。呼び名を変えるのには、とある経緯があった。
 因みに僕と翼が仲良くなるきっかけも、一目惚れみたいなものだった。いつかそんな話もしたいものだ。

 出会って最初はちょっと大変だった。ハル君は心身共に極端に弱っていた上、立ち入れないような壁を作っていたからだ。
「二人分だから」
 そう言って、主に二つ名乗っていた。春依と遥亮。しかしそれ以外の名前(多分その場のでっち上げ)で名乗ることもあった。ハル君と呼んではいるが、性別もはっきりしていない。見た目が中性的なので、外見でも判断できない。とか言いつつ、僕と翼はハル君が何者なのかを実は知っている。ハル君も多分それをわかっている。暗黙の了解。男の友情というやつだ。(暗黙の了解と男の友情が=で結ばれるかどうかは不明だけど)
「トイレは?」
 という同級生の不躾な質問には、
「アイドルはトイレに行かないんだよ」
 と奇妙な切り返しをしていた。
 二人分と言いながら、ハル君はとっても自虐的だった。食べることを放棄したり、熱を出しても放置しようとしたり、生きることに無頓着だった。「もう一人」と呼ばれる相方さんが深く関係している。その内側と真実を見た時、僕と翼は涙さえ流した。
 あまりにも悲しい現実だった。
 あれから一年。そんな彼(?)も今ではランチャーで網を放つ程、元気になった。

 何故バンド加入を了承してくれたかを尋ねたこともあったね。これは、ついこの前の話だ。
「何か俺が歌ったら、喜んでくれるというか……面白そうだったからというか……」
 珍しく言葉を濁しながら、話していた。もごもご話すハル君は貴重かもしれない。
「四年に一度のデレか……」
 翼が僕に耳打ちしてくる。せっかく内緒話をしてくれたところ申し訳ないけど、意味がわからないです。
「オリンピックですか?」
 そんなやり取りをしている間にもハル君はもごもごとしている。ここで僕達は気付いた。ハル君は何か他に言いたそうだと。
「百年に一度の躊躇い……」
「経済危機ですか?」
 ちらちらハル君を窺うと、ハル君はちょっと考えたような目をして。
「うーん……今度気が向いたら話す」
 と、もごもごモードを終了させた。

 そんな僕らは、一応バンド活動も行っている。バンドだからね。コピーもやるけど、オリジナル曲を作ってみたりもする。作曲は僕と翼で行う。作詞は一応三人とも行う。アレンジはやはり僕と翼だけど、わからないことも多くて途中で投げ出された曲もある。
 ロックバンドのつもりだけど、まさかのアカペラ曲もある。短い曲だけどね。ドラム不在のため、僕はできないのにボイスパーカッションを要求、いや強要されたこともある。あれから、できるようになってしまった僕を、誰か盛大に褒めてほしい。(そのうち口からラッパの音が出るとすら思い始めている)
 曲を作る経緯も「楽しいこと」でして。僕をからかうためだけに曲が作られたことすらある。二年生になった今年の春のことだ。酷い話だ。……酷い話ですよね? ……酷い話だと思って下さい。高速回転脳を所持する二人を僕が止められるはずがない。高速で要らぬことばかり考えよって……。


 回想をするなら、こんなエピソードも付け加えておきたい。ハル君がもごもごモードになった話より、ちょっと前のこと。夏が始まった頃の話。
 まず前提として、翼はアイドルのように整った顔立ちである。長身痩躯、眉目秀麗。よって、女の子達が喜んで寄ってくる。
 次に抑える点が要点であり、翼は大の女性恐怖症である。驚天動地、奇々怪々。よって、翼は女の子達から一目散に逃げて行く。
 寄ってくる女の子、逃げる翼、追う女の子。追われた翼は余計パニックに陥る。普段の冷静さからかけ離れていて、若干別人になってしまう。
 ここで、僕とハル君の出番である。僕は女の子達に丁重な断りを入れ、怯える翼を宥めた。ハル君は女装(?)をして、まさかの演技を披露した。
 そして翼だ。文章書きがとても得意な彼は、悪戯メーカーハル君とタッグを組んで、とんでもない反撃をしてしまったのだ。もちろん、僕も巻き込まれたよ……。タッグに入れてもらえなかったばかりか、実験台にされた。敵を欺くには味方から、を実践されてしまったのだ。……誰が何と言おうとこれは酷い話だ。
「恋は罪悪ですよ」
 翼先生はそう言って僕を慰めたけど、正直何処がどう慰めの言葉なのかは全くわからない。ただ単に翼が好きな言葉なのだろう。

 そろそろ話を現在に戻そう。網から解放された翼は、ようやく本から目を離した。
「この本、面白いね! 貸してくれるの?」
 呆れた顔で頷くハル君。
「やった! マジで嬉しい!」
 先程まで、網にかかっていたとは到底思えない喜びようだ。温かい目で見守っていたら、二人がこちらにやってきた。
「ゆーちゃん、何抜け駆けしてんの」
「何のほほんと見守ってんの」
「その緑茶、撮らせてくれない?」
「何故網剥がすの手伝わなかった」
 早々とマイペースに話し始める二人。
「というか、ゆーちゃん。何故ゆーちゃんが罠にかからない」
「え、僕にも罠があったんですか?」
 尋ねると、ハル君は木の枝を指差す。紙がぶら下がっているあそこだ。
「可愛いのんちゃんの写真を引っ張ると、籠が落ちてくるという、シンプルで素敵な罠だったのに……」
 んな馬鹿な。翼に網で、僕には籠ですか。
「のんちゃんの写真なんて何処で入手したのさ!?」
「俺だから」
 あ、納得してしまった。のんちゃんとは、僕にとって大事な女の子だ。とても可愛い。そんな僕の純情は、格好のからかうネタにされている。……あまりに酷い話で僕は涙を流しそうだ。
 ここで僕は最初の目的を思い出した。
「ハル君、何の用だったの? サプライズ?」
 そう。ハル君に呼び出されての集合だ。
「別に網で捕獲しなくても、俺は逃げないよ?」
 翼も不思議そうだ。ということは、今回はハル君一人の悪戯らしい。いつもなら翼となのに、珍しい。
「……そこに座れ」
 いきなりハル君が重々しい口調で翼に言った。翼は僕の隣にちょこんと座る。
「この前の話のことです」
 あのもごもごモードのことか。普段通りの口調を保とうとしてるのが僕にもわかる。ちょっと緊張してる感じもする。だって、何故だか敬語だし……。
「俺はよく歌を口ずさむのですが」
 ハル君は歌うのが好きで、カラオケも好きだ。最初はそれを表に出してなかったけど、最近では素直に楽しむようになってきた。
「相方が、それを聴いて何となく笑った気がしたんです」
 相方。「もう一人」のハル君のことだ。
「それがとても嬉しかったので、またたくさん歌おうかなと思いました」
 声も男女の区別がつかないハル君。強いて言うなら低めの女の子みたいな声が、なめらかに言葉を繋ぐ。
「二人で写真も撮ってみました」
 カバンから写真を取り出し、右手で乱暴に差し出す。表情を見れば、かなり照れている。でも僕にも翼にもわかる。ハル君、嬉しそうだ。
 翼と二人で写真を覗きこむ。眼鏡をかけた二人組が写っている。これで本当の「二人分」なのだね。相方さんは前お会いした時より、目に表情があるように思えた。うん。微笑んでいるようにも見える。ハル君はいつもの黒い笑顔からは想像できないくらい、とても純粋な満面の笑顔だった。顔の側にピースサインも作っていて、とても可愛い。
 ハル君も、こんな風に笑えるのか。
 可愛いとこもあるんだよ。寝顔とか。電車で寝てしまい、肩にもたれかかってきたりとか。突然遊ぼうよーとおねだりしてきたり。悪魔の仕業かと思うくらい酷いけど、そのおかげで許してしまうのだ。
「ハルにはきっとわかるんだよね。相方さんが喜んでるとか、そういうの」
「んー、一応」
「本当に良かったね」
「……それよりゆーちゃん、何をそんなににやにやとしている」
 ハル君のいつも通り冷たい口調に、僕は思わずはっと顔を上げる。思考は飛んでいた。
「また抜け駆け?」
「駄目ですよ?」
「何か企んだって無駄だからね?」
 すまないが、こっちの台詞だ。思い返せば、いや思い返さなくても、いつも抜け駆けて僕をからかうのはそっちじゃないか! もう、僕がこう思うことまで計算して言っているから、悔しすぎる。やめろ……抜け駆け、ダメ、絶対!
「抜け駆けしたら、悪戯しちゃうぞ?」
 翼が爽やかな笑顔で言う。
「抜け駆けしなくても、悪戯するでしょうが!」
 僕は反論する。
「良くわかってらっしゃる」
 真っ黒な笑顔のハル君。あぁ、何だかまた負けた。

「まぁ、また会いに来て下さいよ。コイツにも」

 ふっと再び照れたように俯くハル君。これでまた許してしまう。完敗だ。
 初めて、相方さんにお会いした時のことを思い出した。ハル君が、全てを話してくれたあの時だ。そう、場所は病院で。相方さんはそこにいて……。

 おっと、また思考が飛びそうだった。危ない危ない。悪戯される。

 ハル君をふと見たら、写真と同じような笑顔で、僕も思わず笑った。翼もにっこりしていた。
 木陰のベンチは涼しいけれど、心は温かいね。そして何より爽やかな気分だ。
 思いっきり笑う時に抜け駆けはなし、ってことで。 


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