4.好きで仲裁役してるわけじゃない

 ぱっちりした二重、キラキラと輝く。口は下唇が厚くてもふもふ、兎さんみたい。でも中は拳が入るくらい広いらしい。全部が綺麗に整っていて、キリリとして精悍な顔立ち。アイドルみたい。二年生になった今年の春に、二十歳を迎えた。しかし見た目も中身も二十歳よりずっと大人びている。

 最近女子がメルマガ「翼と愛ノベル会」を発足したらしい。彼のファンクラブというところだろう。疑問なのは僕も登録させられたところだ。
 身長も高め。(でも僕だって同じくらい高い)スタイルが良くてモデルさんみたい。
 優しくて、穏やかで、聡明、知的。ちょっと影のある不思議なオーラ。ピアノが得意。ギターも弾ける。そして何より文才。文才が飛び抜けている。彼の文才を表現するのにこそ、文才が要る。(僕にはない)
「誰かを打ち負かしたいと思うことがあるなら、きっと俺はそれを文章で遂行する」
 という、彼の言葉が思い出される。

 才色兼備とは彼のためにある言葉とすら思う。そしてこんな短い文章では彼を表現しきれない。
 それが僕の友達、風矢翼だ。

 そして今、目の前で僕にしがみついているのも、風矢翼だ。

「あの、だから見ての通り彼は女の子を怖がるので、お引き取り願いたいです」
「えー、写真だけだってぇ」
「いやだから、写真も怖いみたいなので……」
「じゃあ握手だけでも!」
 自分に向けて差し出された手に、翼は僕にしがみつく腕の力を強くする。僕がまた断りの言葉を発する前に、翼は遂に叫んだんだ。あの、兎みたいにまったり構えてる翼が。
「触らないでっ!」
 かなり切羽詰った鋭い言葉。僕の心が凍りつく。もう夏なのに。
 そう。風矢翼は、大の女性恐怖症なのであった。

「握手だけでいいってばぁー」
「こんなに嫌がっちゃエミが可哀相ジャーン」
 ちょ、え、女の子達、空気って吸うだけじゃなくて、読めるものでもあるって知ってる?
 この子達新入生らしく、早速翼に目をつけてしまったみたいだ。サークルの新入生勧誘の時から始まり、絡んでくるのはもう三度目だ。あぁ、この茹だる暑さより鬱陶しい。
「えと、翼には彼女がいますしね?」
「え、アレ? 何かちっこくて転がって奇声発してる奴?」
「まさかぁ、アレは風矢君のストーカーだって」
 いや、翼が彼女と呼んでいて、唯一翼とまともに関わっている女の子ですって、それ。ついこの前、僕は衝撃の初対面を果たした。
 彼女と呼びつつ、「飼っている」。仲は良さそうだけど、触れ合っているのを見たことがない。彼女の方はそれでもいいらしく、ただひたすら一定距離を保ちながら、怪しげな発言を繰り返している。「もえー」、「ぐふー」、「抱きつきたい」、「脱がせたい」。でも一定距離からは近付かず、翼の周りを跳び回っている。
 近寄ってくる女の子達をあしらう理由にもしたいのだろうな。翼は。でも、残念なことに相手にされないんだな。彼女、珍獣にしか見えないから。

「とにかく、諦めてもらえると助かります……」
 うんうん。差し出した手はそう簡単に引っ込めてくれないよね。しかもさ、囲まれちゃったら逃げることもできないんだよね。まさかそこも狙っているのか。

「ちょっと、翼何やってるの?」
 困り果てた僕達の耳に、よく響く声が届いた。
 声の主は僕達の元にずかずか寄ってくる。グレーで裾が短めのワンピースに、黒いジーパン。赤いフレームの眼鏡の奥にある切れ長の目がこちらを向いている。
「ずーっと待たせるとはいい度胸だな。ってか、この人達誰?」
 一気に捲くし立てて、女の子達の輪に分け入る。そして女の子達に言葉を向ける。
「翼に何の用?」
「握手頼んでたの」
「何故?」
「だってカッコいいでしょ?」
「そんなことは知ってます」
 眼鏡の人はフッと鼻で笑う。女の子達の方はキャーキャーと叫ぶ。
「っていうかアンタこそ誰よ! 風矢君の何?」
「何に見えます?」
 そう問いかけて、まだ僕にしがみついている翼に身をぴたり寄せ、首を翼の方に傾ける。目線を女の子達に向け、にやりと微笑む。
 女の子達が、初めて黙った。そして何と、遂に手を引っ込めて、集団で立ち去った。屈辱そうな顔をしながら。

「こんな感じで?」
 眼鏡の人は、任務完了とでも言うかのようにこちらを見る。名演技ありがとうございます!
「ありがとう、ハル」
 翼はようやく僕から腕を離して、ハルことハル君の手を取る。しゃーねーなーといった風にハル君は翼の手を握り返す。
 そう。彼は、ハル「君」だ。普段はこんなワンピース着ない。着たとしても、いつもの感じだと黒を選ぶだろう。
 そして正確に言うと、本人曰く性別は「どっちでもいいじゃん」だそうだ。でも一応普段は男の子扱いでいる。
 本人曰く、ハル君は「二人分」生きているらしい。春依と遥亮。二つ名乗ってきたり、全く違う名前を名乗ってきたりと色々あり、呼び名はハルとかハル君になっている。実は僕達、ハル君が春依と遥亮どっちなのか知っている。ハル君は少しずつ、「二人分」から自分に戻ろうとしているように思える。
「俺、大して何もしてないのに」
 ちょっと頬を膨らますハル君の言う通りだ。一言も「女の子」だなんて言ってないし、一言も「彼女」だなんて言ってない。見事な狙い通りに、ハル君の心情は複雑に違いない。
 女の子達はハル君を女の子――しかも美人な――と、彼女だと勘違いしたのだ。(美人は勘違いじゃないけど)
 ショートカットの髪に、低めの女の子みたいな声、中性的な顔立ち。僕達よりはずっと低い身長。ついでに強気すぎる性格。そして変な子。とっても変な子。(僕にメルマガを登録させたのもこの子だ。一体何処で存在を知ったのだろう)
 それら全部を使って、彼は女の子達を追い払ってくれた。本当に頼もしい。
「じゃ、部室行きましょうか」
 喋り始めたら延々喋るけど、他の時は言葉が短い。これをサバサバしてる、というのだろう。
 安心して力が抜けきっている翼と、まだちょっと口を尖らすハル君と、僕。僕達三人は部室へ向かった。

 部室に作った僕達スペースである隅っこで、お話を始める。
「着替えてくる」
 ハル君は予め置いてあったのであろう、お着替えバッグ(に見える)を持って、部屋を出て行った。残された僕と翼は二人でお話を続ける。
 教室の入り口に数人の女の子達がいて、こちらを窺っている。僕達が自然と隅っこにいるのは、三人とも隅でこそこそしたいという理由だけではないかもしれない。
 電子音が鳴った。僕の携帯だ。画面を開くとメールの着信。
「メール? 読みなよ」
 翼が言ってくれるので、その場で読むことにした。画面に目を当てた瞬間、声が出かけて胸でつまった。息が変な音を立てて吐かれる。
 例のメルマガだ。「翼と愛ノベル会」。何故だ。何故本人を目の前にして読まなきゃいけないんだ。翼は僕と同じく携帯を見ている。話し相手が携帯を見ている時、自分も携帯を見るのは翼の癖。
 メルマガの内容は小説だ。物語によって様々な女の子を主人公とし、文学イケメン翼と甘い恋愛をするラブストーリー。愛ノベルとは、恋愛小説という意味だろうか。それにしても、文学イケメンというカテゴリーの意味がわからない。翼が女の子と恋愛をする様がまるで思い浮かばないので、小説がファンタジーに見えて仕方ない。何か、読んだことないジャンルだ……。
 というか、本人目の前にして読めるわけありません。
「おぉ、早かったね」
 携帯を閉じる僕を見て、翼も携帯を閉じた。そしてハル君が戻ってきた。戻ってきたハル君は、いつものように、黒いジャケットに黒いTシャツだった。黒いジーパンはそのままだった。(いつも黒いから見分けがつかない)
 ハル君は、僕らが座っている後ろの列のテーブルにつく。僕らはハル君の方を向くために体をひねった。
「本当、ハルもゆーちゃんもありがとう」
 翼が深々と頭を下げる。
「三度目ってしつこいのでは?」
 感謝の言葉に軽く頷いてから、ハル君は言った。
「三度目って、あの女の子達?」
「そう。キャーキャー騒ぎよって」
 ハル君は面倒くさそうな表情をして、少し口を尖らせる。むぅと唇を軽くすぼめるのはハル君の癖。彼に僕の癖を尋ねたら箇条書きで大量に出してきそうなので、怖くて話題にはできない。
「幻想じゃなく、姿を追え」
 ん、何か聞いたことある言葉だ。どうせハル君のことだから、引用か。
「俺はアイドルじゃないですよーみんなの風矢君じゃないんですー」
 翼は笑いながら言ってるけど、多分本気の言葉だ。翼はすらすら言葉が出てくる。だからなのかとても早口。見事な回転を誇る翼の脳は、常に何かしら面白げなことを打ち出す。
「みんなのじゃないよっ、翼君は私のものーぐふふー」
 その「翼君」本人が、翼の彼女さんが実際に言ったのであろう言葉を真似る。
「そろそろやっちゃっていいのでは?」
 組んでいた腕をテーブルに下ろし、その上に顔を乗せるハル君。いつもの上目遣い。僕達は彼を「見下ろして」いるけど、多分彼は僕を「見下して」いる。
「制裁? 鉄槌?」
 何のことだろう。とても楽しそうだ。ハル君がとても楽しそうということは、ろくなことじゃない……!!
「うん。俺頑張る!」
 翼も楽しそうだ……!! ということは、変なことじゃないの!?
 いつものようについていけない僕を置き去りにして、二人は何やら相談を始める。こそこそ、にやにやと。
 長い溜息を吐き切った時、僕の携帯は再び鳴った。
 出た。「翼と愛ノベル会」。目だけ適当に通すかと思い至り、僕は画面を覗く。するとそこには、今までとは毛色が違う文章が並んでいた。

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 翼と愛ノベル*最終回
『イケメンの恋愛ロンリー』
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 ネタの多い生涯を送って来ました。
 自分には、異性の生態というものが、見当もつかないのです。

 自分は「イケメン」と呼ばれる生き物なのだそうです。
 二十年ちょっと生きておりますが、何度もその言葉、または同じ意味を指す言葉をかけられてまいりました。



 人々は自分に言います。「モテるでしょ?」
 モテる。端的に言えば異性に好かれるという意味になるのでしょう。
 しかし、自分は異性に「好かれた」と感じられたことがとんとないのです。

 他校の女子達が、自分の学校に訪れます。そして校門で通行の邪魔をし、自分を取り囲もうとします。
 自分はそれまでに女子という生き物から酷い仕打ちを受けてまいりましたので、それらが恐ろしくてたまりませんでした。
 その恐ろしい生き物たちが自分に近付き、触れようとしてくるのです。

 自分には、過去の出来事がまるで今現在起こっているかのような錯覚が生じました。
 例えば家の近くで、学校の近くで、何時間も自分を待ち続けた者がいたこと。
 自分の筆入れから、物が消えたこと。逆に、物が増えたこと。
 刃物が襲ったこともあったかもしれません。

 そのような仕打ちを自分にしてくる者は、他の仲間に羨望され、時に崇拝されているように思います。
 大きな魔物の群れが、悪夢のように――悪夢であったらいいのですが――自分に襲いかかってくるように思うのです。
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 僕の胃に何か重たいものが落ちてくる。そしてかすかだけど、焼けるように痛み出す。
 これ……翼の話……? 多分実話? 書いたのは翼?
 そしてえぇと、ある文学作品が浮かぶのだけど、それは考えない方がいいんだよね。

 というか、もしかして、今までのメルマガに載せられた小説は、全部翼が書いたの?

 肺が締め付けられたような感覚があって、次に吐き気のような息が漏れる。自分の眉がひそめられるのがわかる。
「どうしたの? ゆーちゃん」
「凄い顔してるな」
 僕はテーブルに崩れ落ちた。頭をごとりと打ち付けた鈍い音がする。
「他の人もこんな反応したかなぁ?」翼の不安そうな声。
「したんじゃねーの? したんじゃねーの?」ハル君の楽しそうな声。
 二人の声が遠くに聞こえる。負けない。僕、負けない。
 携帯の画面をスクロールさせて、続きもさらりと見る。
 これが、後半の文章だ。

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 これが「好かれる」、即ち「愛情」と呼ばれるものなのでしょうか。
 すると「愛情」というものはやはり、とても恐ろしいものに自分は思えます。
 「愛情」を振るいかざす女子という生き物は、自分の敵であります。

 イケメン、失格。

 もはや、自分は、イケメンと呼ばれる資格を捨てたいようにさえ考えてしまいます。
 しかしその一方で、たまたまイケメンという生き物に生まれたことを、感謝したいようにも思えます。
 そのおかげで出会えた人々がいるからです。
 そして自分がイケメンという生き物にも関わらず、内面や特技を認めてくれた恋人や友人やファンがいるからです。

 あなたは、どちらだと言えますか?
 魔物ですか? それとも、一介のファンですか?

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 翼と愛ノベルも、これにて最終回です。
 今回はあなたの良心に訴えかけるような文章に致しましたが、次の手段があるとしたらどのようなものになるでしょう。
 それは、あなた次第です。

 あなたは風矢翼、その周囲の方々にどのように見られているでしょうか。
 あなたの行動が、誰かに迷惑をかけてはいないでしょうか。

 考えてみてください。
 あなたの大好きな風矢翼の気持ちを、考えてみてください。

 今までのバックナンバーを読み返してみてください。素敵な恋愛が描かれているでしょう。
 素敵な恋愛を望むのは、あなたも、風矢翼も、一緒です。
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 これは、イケメンの恋愛論理だ。
「誰かを打ち負かしたいと思うことがあるなら、きっと俺はそれを文章で遂行する」
 僕はもう一度、翼の言葉を思い出した。
 今回は読者の良心に訴えかけた。
 ……もし読者に良心がなかったら? 次なる手段はどうなる? 翼が持てるその文才を凶器に変えたら、一体どうなる?
 僕は身震いした。皮膚の表面が一瞬冷気に覆われたような気がした。
 ……それが察することができない奴は、愚か者だ。
 目線を翼とハル君に向けた。言葉にしたら、じとりという目線だと思う。
 二人はお互いを讃えあう様に見つめ合い、微笑んでいた。
 入り口に目をやると、やはりまだ女の子達がいた。皆一様に携帯の画面を見つめ、暗い表情をしていた。
「ハル君、質問があります」
 ハル君は翼からこちらに向き直る。左の口角が上がっていて、これから僕はこのド悪魔に尋問するのかと心が折れそうになった。
「メルマガの発行者はハル君ですか?」
「はい」
 全く悪びれずしれっと答えるハル君。
「小説書いたのは翼ですか?」
「はい」
 一重の目を細めてにやにやしているハル君。
「小説以外の文章書いたのはハル君ですか?」
「はい、ちょっと一筆」
 文字にしたら素っ気ないけど、口調は相当腹立たしい。
「何故メルマガなんていう、ややこしい手段を取ったんですか?」
「面白いから」
 してやったり。その言葉を人の形にしたら今のハル君になるだろう。
「翼を助けたかったんですか?」
 今度は間が空いた。ハル君は目線だけ下に落とす。僕は知っている。こういう時、ハル君は自分のキャラを保った言葉を探している。
「翼オタ達がうざったかった」
 それも本音なんだろうけどね。ハル君は、わかりやすく素直じゃない。
 質問の答えになってないよ、ハル君。でも僕には十分だ。
「ゆーちゃんごめんね、味方から欺いちゃって。側にも読者が必要だったんだ。リアクションを見るために」
 翼が僕の頭をわしゃわしゃと撫でながら言う。
「翼は、文章で女の子達を打ち負かしたかったの?」
 そう尋ねると、翼はその大きな目で僕を一瞬見つめ、次の瞬間とても爽やかな笑顔で言った。
「うん、何か……面白そうだったから」
 あぁ……お前もか……。というか何て爽やかな言い方なんだ……。君の不思議ちゃん発言で今周囲の空気が洗浄されたよ……。
「ハル君もありがとうね〜」
 僕を撫でていた手を、ハル君にも伸ばす。届きそうな所で、虫でも払うかのようにハル君にはたかれる。でも翼は気にしない上に、面白がっている。

 しばらく、翼が手を伸ばしてはハル君に払われる遊びが続く。しばらく続けて、翼はふと手を止めた。
「面白かったけど、ちょっと怖いな。余計女の子達が絡んできたらどうしよう」
 ハル君は翼を真っ直ぐ見つめ、それから口を開いた。
「大丈夫だ。翼が絡まれたら、またハルちゃんが登場するから」
 ハルちゃんとは、さっきみたいなハル君女の子装いバージョンのことだろう。
「俺らがまた何とかしてやるよ。しゃーねぇなぁーしょーがないなぁーあぁー」
 ハル君は心底面倒くさそうに繰り返して、それから微笑んだ。僕も何とか言葉を発する。
「僕も頑張るから! 今日はダメダメだったけど、頑張るから!」
「いつも俺の方も助けてもらってるからな。仕方ないなぁ。仕方なーいなぁーしょーがなーいなぁー」
 素直になれないハル君が、段々僕には面白くなってきた。
「二人とも……ハルもゆーちゃんも、本当にありがとう」
 翼は大きな目を真っ直ぐこちらに向けて、そう感謝を述べた。ハル君は僕と翼から目線を逸らし、こう言った。

「好きで仲裁役してるわけじゃない、んだからな!」

 これから、チョコレートクランチはもっと面白くなりそうだ。


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